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扉のうちがわの花と、雨の季節のこと


 もう6月が終わりかけているそうです、びっくりだ。今年は梅雨らしい梅雨な気がする、まとまった雨のちゃんと降る、うつくしい季節。雨に濡れておもたくしっとりした植物の濃い匂いに、地球みたいなものをうんと身近に感じたりしています。

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 梅雨になると、いなかに暮らしているので、雨蛙にほんとうにたくさん出会います…このあいだ、あまりにも会うしなあ、と思ってちいさなからだを手に乗せてみたら、皮膚に伝わる感触がぜんぜん思い描いていた蛙でなくて(なんというか、例えばハムスターみたいな、ただの乾いた小さい動物のような感触で)、あたりまえだけれど意思があり、しばらく動き回ったあとはわたしを恐れてとおくの草むらへ逃げていきました。わたしたちのおうちよりうんと大きな場所で生きている、うんとちいさい生き物。
 あともうひとつ、いきものの話なのですが、このあいだ急なことがあり夫のおばあちゃんの島へ行った帰り、本土への船が出るまでの10分くらいのあいだ港の近くの浜へいくと、たくさんの水くらげが打ち上がっていました。みんな乾いてしまうのではなかろうかと、すくえるものだけでもと思って海へいっぴきずつ放って返したのですが、はじめて触るわけではなかったのに、まるごとを手で包んですくいあげると、やっぱりはじめましてな気がしました。海から出たくらげたちは海で出会うときより心もとなく、その瞬間はわたしになにもかもがゆだねられていて、あなたはもしかしたら、海のなかでわたしたちをそのように見ているのかしらと思いました。”あまりにももろい生き物が、わたしたちに抱かれている”、みたいな。

 ところで夫は、わたしが雨蛙に触ろうとしたり水くらげをすくおうとしていると、ほんの少しだけ先回りして、こうやって持つといいよ、という感じで示し、そのあとはたのしそうにわたしを観察したりします(ただし、外国の海で出会った大きなくらげを触ったときだけは、彼は終始その様子を見守っていただけでした)(そしてその後、あなたの挑戦を誇りに思う、と言ってくれたのでした)。

 今日、話の合間に入れている写真は最近夫が生活の中に飾ってくれていた庭の花たちです。お手洗いの扉、洗面所、居間のテーブル、アトリエの棚。風で折れたかすみ草や、終わりかけた小さいばらたち。いとおしい。

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 おうちの中や人の暮らす場所の中からの目線で植物や動物を見るとき、それはわたしたちのものであると思ってしまいがちだけれど、ほんとうはちがうのだよね、とあたりまえのことを最近になってよく考えます。とくに前よりいなかに越してから、”自然界に間借りしている感”が強くて。それなのに家のなかで植物を育てたりかわいくかざったり、描いたりして、不思議なことだな、と思われていたりするのかな。にんげんはかわいいな、と思ってくれていますように。生きる場所を貸してくれてありがとう。

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 いつも久しぶりにnoteを書くので、文章がちぐはぐでごめんなさい。
 怖いほど元気のなかった5月を経て、6月をなんとか乗り越えようとしています。あと、やっと、やっと、あつまれどうぶつの森をはじめることができました…とんでもなくたのしいです。
 まだしんどい日も多いけれど、もともとこんなものだったのかもなあ、と自分を受け入れつつあります。ゆっくりしか生きていけないようだ。

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 まだまだ不安も多く、油断できない日々かと思いますが、どうぞ健やかに、雨のうつくしい季節をお過ごしください。


おいしいお茶をいただきます。