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存在しないアイデンティティ

私の人生は挫折ばかりだ。
昔流行ったラッパー風の芸人に勝るほど挫折でいっぱいの日々を、私は過ごしていた。

特別だとは思っていない。けど、これだけ挫折をするのは自分だけなんじゃないかと、病みそうになった時期もあった。これはきっと自分を特別な存在だと思っているからだろう。そう、正直なところ私は自分のことを「特別」な存在だと思っていた。

私は所謂「器用貧乏」だ。
大抵のことは簡単にやってのけるが、そこから先はなにも出来ない。だから「私といえばこれ」つまりアイデンティティをひとつも持っていない。これは寂しいことだ。私の友人たちはみなアイデンティティを有している。絵といえばあいつ、音楽といえばあいつ、サブカルチャーといえばあいつ……。不思議なものであいつはこれ、と意外とポンポンと出てくるものだ。じゃあ自分は?……何も無い。

絵は描ける。人並みには。
音楽もできる。人並みには。
サブカルチャーも知っている。人並みには。

「人並み」これが私を表す一言だと言っても過言ではない。寧ろ正解だ。何をとっても人並みくらい。これはその先を目指す意思がないからなのかもしれない。そんなことは心のどっかで分かっている。けど「人並み」が引き起こした挫折は私を未だに呪っているのだ。

中学生のころ、私は文の天才だと思っていた。詩を書き、小説を書きまくる日々。でもそれを上回る友人に出会った。ネットの評価もいまいちだった。私は天才じゃなかった。

高校生のころ、私は音楽の天才だと思っていた。ギター弾き、歌い、曲を作る。でも後輩率いるインディーズバンド主催のライブに初めて赴いた時、私の天才は崩れ去った。


――そんなこと分かっているのなら努力をすればいいじゃないか。
たまに心の中の声が聞こえる。そんなこと私が一番わかっている。わかっていてもやる気が出ない。やらなくていいんじゃないか、悪魔の囁きに耳を傾ける。なぜ、努力できないかなんて私がいちばん知りたい。

答えは簡単だった。私は「人並み」に縋っていたんだ。多才な友人たちに囲まれて、私の才能を活かすステージがない。なら「人並み」に全部やればいいじゃないか。どっかでそう思っていたのだ。アイデンティティがないんじゃない、「人並み」をアイデンティティとしていたんだ。「アイデンティティがない」ことをアイデンティティにしていたんだ。私は気付きを得た。
マズローの欲求5段階説では教えてくれなかったアイデンティティの獲得の仕方。無いことがアイデンティティなんて矛盾している。でも私はそんな矛盾に縋っていたんだ。

人並みで器用貧乏は私はこれからも自分の能力を殺し、挫折していくだろう。けど、何かひとつ、ひとつだけでいい。これに代わる大きなアイデンティティを見つけるまで私は挫折し続けていくだろう。その度にまだ、このNoteを開いてみることにする。

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