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相手の立場になんて立たなくていい

「聞いて!朝、通勤途中警察に捕まったの」

ある夏の日の朝
同僚がプリプリ怒って語ってきました。
話が十数分かかったので要約すると
・一時停止の場所で一時停止をしなかった。
・近くにいた警察に車を止められた。

うん。なるほど。当然じゃないか。
これのどこに怒る要素があるというのか?

「だって私、ちゃんと一時停止したんだよ?
でも警察は『完全停止してない』って言うの。
ちゃんと止まったのに、ひどくない!?」

これは完全に憶測だけど
警察だって暇じゃないのだから
完全にやったなコイツって確信でもない限り
朝の通勤の忙しい車を止めたりしないだろう。

つまり、私の心は完全に警察寄りである。
とても一時停止無視を咎められた同僚の心に
寄り添うことなんてできやしない。

たとえ私が同僚と同じシチュエーションで
無慈悲に一時停止違反を喰らったとしても
恥ずかしくて人に言うなんてできないから。

このように
どう頑張っても相手の立場に立てない
という状況は少なからず存在します。

それでも、どんな状況であっても
困ってたり怒っている人には寄り添うべき?
相手の立場に立って親身になるべきなのか?

結論から言うと
何でもかんでも
相手の立場になんて立たなくていい

だって、そんなの優しさじゃない。
思いやりでもない。いい子ぶりたいだけ。

ましてや完全に相手の立場に立てるなんて
できるはずがない。だって違う人間だもの。
できると思っているならとんでもない傲慢。
相手の立場に立たなくていいというよりも
相手の立場に立つことはできないが近い。

私たちができるのは話を聴くことだけ
それだけで充分相手の心は充分救われる。
ニュートラルな立ち位置で、ジャッジをせず
事実を聴くことだけが、私たちにできること。

「ねえ!同意して!あなたもそう思うよね?」

話を聴いてもらうだけでは納得できなくて
言質を取るまであきらめない人もいるけど
ここまで言う人に出会ったらある意味幸運。
だって『関わってはいけない人』リストに
躊躇なく書き込むことができるんですから。

あなたはあなた。
わたしはわたしです。


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