無分別(むふんべつ)
私たちは「分別のある大人になりなさい」と
分別が良いことであるとして育ってきました。
分別があるということは、
善悪や道理を見極める力があることです。
禅ではありのままを見ることをよしとします。
ありのままを見るとは、
他のものと比べないことです。
これが「無分別」です。
あの人は良い人、この人は悪い人
あの山は大きい、この山は小さい
あの国は優れている。この国は劣っている
これらはいずれも比較したことば。
いわゆる相対的な価値観を示しています。
しかし、禅では相対的な価値を尊びません。
何かと比べないで
そのものを見ることが大切だからです。
たとえば「あいつより俺の成績が上だ!」
といった考えでは満足を得ることができません。
相手と自分の「差」しか見ていないからです。
「差」で人を見るようになると執着が増します。
他人との「差」を気にする人生の始まりです。
みんなが「差」で人を見るようになってしまうと
差別がおきてしまいます。
社会でも、学校でも、家でさえも変わりません。
無分別などできるわけがない!理想論だ!と
突っぱねる人は多くいます。
たしかに、むずかしいのかもしれません。でも
無分別を大切にしている人は確実にいます。
SNSが日常の標準装備となったいま
今日もたくさんの人が比較しています。
そんな比較にまみれた日常で
「他人がどうこう」ではなく
「自分はこれが好き」と主張できるひと。
無分別の観点を持って生きていけるひと。
それは素敵な生き方なのかもしれません。
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