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その静謐さが寧ろ残酷な私の失恋の話

上手く文章に纏められる気がしない。この気持ちにぴったりハマってくれる言葉を探してみても、頭の中がぐちゃぐちゃでよくわからなくなってくる。こんなの久しぶりだ。だけどそうだ、この人との恋愛のさなか、いつだって私はぐちゃぐちゃだった。

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別れてから1年半ほど経ったある春の日の夜、大学卒業で離れる前に、最後に2人で会うことになった。

私はこれまで随分と長い間その人との関係のことで頭が一杯だったが、暫く会わないことが助かってか自分なりに整理がついたと思っていた。恋情は無くならないにしろその大部分が時間と共に抑圧され、穏やかで純然たる愛情が残されたのだと思っていた。でもそんなに上手くはいっていなかった。

当日の朝食は喉を通らず、他の誰に会う時よりも身なりを整え、待ち合わせの数時間前から近くの喫茶店で小説の活字だけを追って中身が入ってこないような不毛な時間を過ごし、その人の前では努めて割り切ったような態度で話した。一度別れた後に身体の関係を持ったこともあって、正直不埒な考えが頭を過らないでもなかった。当日の私はこんなだった。

その人はもうずっと先に進んでいた。高い人間性、客観的に物事の本質を視る力、豊富で自在な語彙、自分を肯定して進んで行ける溢れんばかりの活力をもって、私たち2人に関わるあれこれにはとうの昔に蹴りを付けていて、綺麗な形でその人のフォルダにいちデータとして保存しているようだった。

4時間かけてその人が話したのは、旅の話、この先の未来の話、壮大で高尚な志の話。極めて快活に、清々しい笑顔で話した。「2人の間に歪みなんて汚いものは無く、‘‘綺麗なもの’’だけが残されたのだよ」と暗に言われているようだった。あまりにもすっぱりしているこの人の前で、弱い私はこれまでみたいに取り繕って、成熟した大人ぶって、伝えたいことなんて何も満足に伝えられなかった。見ているものが違いすぎて。

汚いものは事前に各々で濾過しておくのが前提で、整然とした言葉や態度でもって関わり合うのが私たちだった。昨日だって変わらずそうだった。この人とは深く関わっていたつもりだったけど、結局他人行儀の延長みたいな関係にしかなれず、心の内側に全然近付けなかった。もう何もかも手遅れだが、どうせ壊れるならお互い半狂乱丸裸でめちゃくちゃにぶち壊しあって、その先にある未来を受け入れたかった。でも出来なかった。この数年間、あなたを失いたくなくてそんなことから私は逃げたんだ。そんな馴れ合いみたいな関係でいたかったわけじゃなかったのに。

「恋とかの次元じゃなくて、もっとまるごと、応援しているよ」

これが昨日その人がくれた唯一の言葉だった。嬉しかった。でもそんな、愛に生きる人間としての大正解みたいな言葉の前ではありがとうくらいしか言えない。私が聞きたいのはそんな名言みたいに綺麗に纏められた言葉じゃなくて、もっとぐちゃぐちゃなありのままのあなたの言葉だったのに。こんな有難い言葉を貰っても尚卑屈になる自分がめちゃくちゃ嫌いだ。この人に関わる時の私には反吐が出る。

人間としての成熟度が明らかに違った。私が一生をかけてもこの人と同じ土俵で語らうことなんて出来ないと、数年かけて分からされていた。正しく成熟した大人へと真っ直ぐ突き進んでいけるその人を横目に、私はそんなに上手く進めないでいた。その総決算が昨日の2人に漂う空気感だったとでも言うのか。とんだ大赤字だクソ野郎。

ありがとうも、ごめんなさいも、まともに言わせてもらえなかった。数年間、自分の全てを捧げた気でいても、結局本当の意味であなたのことを知ることが出来なかった。残ったのは洞爺湖みたいに透き通っていて、波がなく穏やかで、底に何が沈んでいるのか分からない、得体の知れないものだった。遊泳禁止の美しい洞爺湖を外から眺め、ふと浅瀬に手を入れてみるくらいのことしか出来なかった。

今の自分の人間性をもって築くことの出来る人間関係の上限はせいぜいこんな程度だった。残酷。信じたくないが、進まないわけにもいかない。

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