見出し画像

頑張っていないと居られない世界でこの先も。


そうだ、学校が苦手なんだった。

先日友人との会話の中で、自分が学校という場所が苦手であることを素直に話したことがあった。友人に話すということによって、自分が昔から学校が苦手で、苦手なりになんとか通っていけるために振る舞い方やマインドを変えてきたことをハッキリと認識することとなった。

そうだ、学校が苦手なんだった。

ーーー

今あることは過去の積み重ねだから、よく過去のことを反芻する。遡れば小学校中学年までは学校が好きだった。辛くなったのはそこからだった。

記憶が曖昧だが、幼稚園や学校が好きだった頃はもっとのびのびと過ごしていたと思う。子供であるが故の溢れんばかりの好奇心を余すことなく外の世界にぶつけ、当時の友人たちと心のままに遊び、好き好んで勉強をし、楽しい気持ちばかりでサッカーや水泳をして、よく笑っていた。

そこに翳りが生じたのは11歳の頃にいじめられてからだ。生まれて初めて自分という存在が拒まれ、集団から排除されるという経験をした。先生さえまともに助けてはくれず、学校で目に入る殆ど全ての人が敵に見えてしまい、学校に行くのが怖くて、眠れない夜に泣いていたこともあった。齢11の子供に降りかかるものとしては残酷だったなと思う。それに立ち向かって強くなっていく人間もいるが、自分はそうはなれなかった。

自分らしく生きることって難しいんだと、子供ながらに悟った。学校を辞めるという選択肢は頭になく、それから今の今まで学校で上手くやっていくために工夫をしながら過ごしてきた。その工夫は、一匹狼に進んでなってみたり、卑下することで自分を慰めたり、一歩引いて大人びた振りをしたり、クールでいたりと、色々と形を変えた。いつしかその工夫した自分が自分になっていったが、それを認識しないように気を付けていた。根本的なことは考えずに楽観的に。

ーーー

この度25歳になって学校が苦手であることを改めて認識したのは、取り繕うことなく自分の感情を素直に認めることができるようになったからだ。

今自分が通っている大学は卒後の職業が一つに決まっている類のものであり、50人ほどの同期がいる。この50人という絶妙な人数と元々狭い業界であることも相まって、高校までのクラスと似た様相を呈している。

この学部には一つ大きな集団があり、周りにはみ出た人たちがどこかで損をする。その大きな集団を私は、‘’国対室の人たち’’と呼称している。年明け早々に国家試験を控えた私たちには大学から国家試験対策室、通称 国対室というフリースペースが与えられている。しかしそんな人々が集まるのに好都合なフリースペースは、最初から大きな集団のものである。生まれるべくして‘’国対室の人たち’’が生まれた。

有益な情報の交換や励まし合い、イベント毎、飲み会などはおよそその中で完結し、日に日に結束感を増していく。

正直に言う。私はそんな’’国対室の人たち’’になれなかったことが悔しく、’’国対室の人たち’’が羨ましいのだ。そうはなれない自分を惨めに感じてしまうのだ。

社交的に上手くやれているキラキラした人たち。昔から上手くやれてきた実績のある人たち。自分がずっと外から眺めてきたある種の正解を歩んだ人たち。色々なものが手に入るのはその人たち。

この先進むことが決まっている業界も50人の学部のように物凄く狭いものであるから、自分が受け入れられるかが不安だ。結局何か数十人の団体に属することを強いられる。様々な面において実力至上主義であるこの業界のどこに身を置いても、少しでも挫けたり躓いたりすれば’’国対室の人たち’’にはなれない。私という人間を受け入れてはもらえない。当たり前ではあるのだが、常に自身がジャッジされる世界に疲れてしまったのも事実。

ーーー

こんなにも素直に自分の感情を認めてしまうことは怖いことだ。自分を守る盾を手放すことでもある。この文章は、困難を前にしてそれでも希望を持って立ち向かって行くということを宣言する、力に満ち溢れたものではない。自分の事を可視化したかっただけ。

自分はありがたいことに完全には孤独でないから、なんとかやっていける。もうすぐ学校に行かなくても良くなる。他に方法がわからないし勇気もないから、頑張るより他にない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?