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『生きることとしてのダイアローグ』#感想図 #咀嚼文

2022/1/15 読了後に記載した感想図

※本を読んで印象に残ったキーワードに自分のイメージや他の本の引用を付け足した感想図です。本の紹介や書評ではありません。

この本との出会いは年始のFBの投稿でした。かっきーとかなさんがこの本を読んでいるというやり取りを見て、ちょっと読んでみようと思って買った本です。バフチンさんのことは全く知りませんでしたが、タイトルに惹かれました。あまり分厚くなかったこともあり、さらっと読むことができました。

この本はバフチンの対話論に絞って3部構成でそのエッセンスを伝えようとされたものです。上の感想図では、第1部を黒色青色、第2部を緑色、第3部を赤色で表現してたと思います。
本の中で、バフチンさんの言葉も結構そのまま引用されていました。「在るということは、対話的に交通するということなのである。対話がおわるとき、すべてはおわる。したがって、対話は実際にはおわることはありえないし、おわるべきではない。」から始まって、「世界では最終的なことはまだなにひとつ起こっておらず、世界の最後の言葉、世界についての最後の言葉は、いまだ語られてはいない。世界は開かれていて自由であり、一切はまだ前方にあり、かつまたつねに前方にあるであろう」という終わりでした。
今、ちょうど大切な人が亡くなってしまい、そのことを受け止めている最中なだけに、改めて読み返して染み入りました。自分の中に居続けて欲しい人がまた一人増えたんだ、これからも心の中で話を続けるんだろうと思えています。

この本の中で特に印象に残ったのは「対話とは闘争である」という表現でした。対話と聞いて争うイメージは湧きにくいですが、確かに深いつながりが得られる過程で居心地の悪さや言いにくいことを伝えあう胆力がでてくることはあるなと思います。

他に興味深かったところは、対話の場をともにする受け手の他に、その場にいない第三者としての「超・受け手」が存在し、どんな対話も対話の参加者の上方にいる不可視の第三者の応答的理解を背景としている、という考え方。そしてこの第三者は沈黙で応答するという表現です。
余りページ数が割かれておらず、消化不良感があったので、他の本に似たような表現が書いてあったことを思い出してホワイトボードに書きました。

風の谷のナウシカ7巻(p113)のナウシカのセリフ「生命はどんなに小さくとも外なる宇宙を内なる宇宙に持つのです」
それから、遠藤周作の小説『沈黙』の最後「そしてあの人は沈黙していたのではなかった。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた。」この二つです。両方とても好きな漫画と小説です。

どうも強い自己像やどこかに導いてくれる神様的な存在は自分の中にも外にも見出しにくいです。そういう超越的なものは色んなところに点在していて、関係の中でそれが感じ取れる瞬間があるとか、これまで通ってきた道の中にそれがあるんだとかいう感覚の方が今はしっくりきます。

最後すごくふわっとしたこと書きましたがこの辺で終わります。
ではではまたね。

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