健康診断
健康診断を受けた。人生2度目の胃カメラは、えげつないものだった。
初めて胃カメラを飲んだのは2年くらい前で、その時は口から入れるタイプのやつだった。今回は鼻から入れるタイプの胃カメラである。
「どちらの鼻の方が通りがいいですか?」
と聞かれ、「左です」と僕は答えた。コップ1杯の麻酔薬を飲んだ後、左の鼻からも麻酔薬が流し込まれていく。お医者さんの手には、黒くて細い、果てしなく長いチューブが握られている。僕は左半身を下にして寝かされた。
「それでは、左の鼻でいきますね」
心構えする暇もなく、検査が始まった。目の前に置かれたテレビ画面に、僕の鼻の中が映る。お医者さんは、悪戦苦闘していた。
「うーん…、入りませんねえ…。これ、痛いですよねえ?」
僕の左の鼻は全く通っていなかった。画面に映る僕の鼻は狭い洞窟のようで、素人目にもカメラの管が通っていけるような隙間は見当たらない。
「すみません。少し血が出てしまいました」
なんてことを…。
「ちょっと、右の鼻でやってみましょう」
僕のこの時の気持ちを何十倍かにすれば、死刑判決を2度受けた人のそれと同じになるだろう。
鼻からチューブが抜かれ、体を仰向けにされ、右の鼻にも麻酔薬が投入される。左半身を下にされ、同じ体勢で再び死刑台に寝かされた。
右の鼻からは無事、カメラは胃まで到達することができた。
お医者さんは「ここが胃ですねえ」、「胃の入り口をみてみますね」と逐一報告をくださるが、「あい。あい」と情けない声を出すので精いっぱいだった。
「胃がものすごく荒れています」
その言葉が記憶に突き刺さっている。なぜにこんなにつらい目に遭わされた上、そんな風に断罪までされなければならないのだろう。
腹の中を一巡りし、ようやく胃カメラは僕から脱出した。胃カメラ最中の人間は、例えるなら材木だ。人間として可能な動作の大半を奪われ、なすがまま横たわっていることしかできないのだ。鼻の奥にこびりついた絶望感はあれど、検査室を出られたときは本当に安堵した。
しかし、ここからの数時間もつらかった。投与された麻酔薬が切れていないため、飲み込むという動作が全くできない。ほんの少し唾液を飲んだだけで、激しくむせかえってしまう。だから、口の中にどんどん唾液がたまっていく。かき回された鼻からも、喉の奥に雫が垂れていく。当然、迂闊に喋れない。ほぼ30分おきに、洗面台に唾を吐きに行く。人間が普段どれほど無意識に大量の唾液を飲み下しているのかを理解した。
14時ごろに胃カメラを飲み、ようやく食事にありつけたのが17時だった。かじりついたアンパンの美味しいこと美味しいこと…。
今回の健康診断で思い知ったのは、「人間、健康が一番大切」ということだ。材木と化した数十分と、飲み込む力を失った数時間が、それを教えてくれた。数十年後には僕もそのように完全に朽ち果てていくのだろう。ひと時その未来を味わったことで、まともに身動きのできる体の大切さがよくわかった。この実感が得られただけでも、健康診断の意義があるのかもしれない。
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