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所有するということ

初めてその感覚を得たのは、クラウド・ワークスで人に仕事を依頼したときだ。

小さな仕事だ。データをスプレッドシートに起こすという作業が面倒くさくなって、それを人にやってもらった。

あの時の感覚は忘れられない。

自分が働いたり、寝ていたり、他のことをしている間に、やらなければならないことが片付いていく。まるで自分が3人にも4人にも分身したような感覚だった。

結局、作業をしてもらったデータをもとに大金を稼ぐなんて芸当は出来なかったが、あの感覚が得られただけでも、仕事を依頼した価値は十分にあった。自分が普段やっている作業の手順書を1枚作るだけでよかった。僕はよくセブンイレブンでホットコーヒーを買うが、その100円や200円には、かき集めればこういう全く別な使い方もできたのだ。

仕事は基本的に時間とお金の交換だと感じる。だからそのために脳みそをクリエイティブに働かせることは全くしたくない。フル回転させるのであれば、時間をお金に変換するためでなく、なにかを所有するために使いたい。それは例えば能力であったり、作品であったり、株式であったり(笑)。なかなかそううまく事は運ばないが。

所有したときと、単なる交換をしているときの最大の違いは、放置が有利に働くことだろうか。noteとかでもそうだが、記事を1度書いて公開してしまえば、おおざっぱに言えばそれはもう振り返る必要はない。放置しておくだけで基本的にはその効果を発揮する。対し、単なる交換をする場合であれば、常に目を配り気を配り、何より時間をずっと注ぎ込まなければならない。目先の資金を得るだけならば、後者の方がもちろん圧倒的に手っ取り早いのだろうけれど、言い換えれば目先の資金しか手に入らない。

100のうち100を注げないと思うと目をつぶってしまうのが非常に悪い癖だが、それを改めてせっせと磨いていかねばならないと思う。

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