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ことばでの殴り合いについて

先日、とある音声配信を聞いていて思ったことを少し。
配信者が話していることに対してリアルタイムでコメントできる類のものですが、そこでの配信者さんとリスナーさんとのやり取りが白熱していまして。
配信でのテーマに関して、おふたりとも全く別の意見を持っていたみたいなんですね。

もちろん、罵詈雑言で相手を否定し合うというようなものではなくて、「いや私はそれにはちょっと賛同しなくて、こう思うんですけどね〜」みたいなのが続く感じです。
(罵倒が続くようなものだったら、聞くのは早々にやめていたと思います)

そのおふたりのやり取りを聞いていて、私はいつからかこういうことばでの殴り合いというか、ことばの応酬というか、そういうのをしないようになっていたなと感じました。
たぶん、そこに相当なエネルギーを割くのが嫌になっていったからだと思います。
相手に楯突くよりは、共感したり「そう思ってるんだね〜」みたいに流したりするほうがよっぽどラク。
でも、こういうことばのやり取りでは相手の核心に踏み込んでいけなくて、どことなく表面的な関係にとどまってしまう。

今私が感じている人間関係のもやもやはこのあたりに原因があるのかなと、これを書きながら思っています。もうちょっと気概とか自分の考えを伝えてみる図太さとかがあったらいいのかな、なんて。
相手と話すとき省エネモードになりがちだけど、たまにはブーストしてもおもしろいかな、とか。



それともうひとつ書いておきたいのが、音声としてのことばと、文字としてのことばの違い。
今回聞いていた音声配信では、配信者さんとリスナーさんはそれぞれ別の武器を持っていたわけです。
配信者さんは音声としてのことばを、リスナーさんは文字としてのことばを。
どちらも何らかの意味を伝えるものであるというのは共通しているけれど、違いも大きい。
例えば、音声としてのことばは目に見えなくて流れていき、文字としてのことばは目に見えるものとして残る、みたいに。
なんだか対等じゃないなとも思いましたが、よくよく考えたら、世の中の人はみんな別の武器を持っていて、それをその人なりにカスタマイズして使ってるんだから、対等かどうかっていう疑問はちょっとズレてるのかなという気もします。


ではでは今回はこのあたりで。

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