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その感情はどこから湧いているのか

最近、自分の心の声がよく聞こえないなと感じることが多いです。
いや、ひとりでいることが多いので頭の中のひとりごとはとても多いんだけれども、これって本当に「自分」の声なんだろうか?と疑問に思うんです。

どういうことかというと、例えばあるドラマでいわゆる泣けるシーンを見たとき。

私は悲しいとか可哀想とか救われてほしいなとか思うわけですが、こういう感情って自分の内側から湧いているものではなくて、そのドラマが制作者から持たせられた「悲しい」要素をただ受け取っているだけなのではないかと考えてしまう。

そういう意味で、「悲しい場面だな」という自分の声は、自分の本物の声ではないなと感じるわけです。

もうひとつ別の例を挙げるなら、スーパーで買い物をしているとき。
今日は何を食べようかなって思いながらいろいろ見ていくんですが、食べたいものが見つからない。というか、自分が食べたいものがわからない。まあまあ広くて品数があるスーパーでもそうなります。

結局、今日のイチオシ商品だったり値引きされている商品を見たりしているうちに、これいいかもと思って買って帰るんですが、その「いいかも」っていう自分の声も、自分の内側から湧いているものではなくて、そのスーパーの戦略なるものから「はいどうぞ」って渡されたものにすぎないのかもなと感じます。

あらためて、自分の本当の声って何なんだろうと考えているのですが、まだ答えはわかりません。
そもそも、なぜ私は自分の本当の声を聞こうとしているのか。そこからはっきりさせないといけないでしょう。
どうやったらそれを聞き取れるようになるのかを考えるのはその次です。

これについてはけっこう興味があることなので、また続きを書きます。
ひとまず今回はこのあたりで。


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