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クンデラ『無意味の祝祭』感想
ポーランドのすぐ隣に、カリーニングラードというロシアの飛び地がある。この名前は1946年に、ソ連の政治家のミハイル・カリーニンにちなんで名づけられた。それ以前はドイツ領であり、ケーニヒスベルクと呼ばれていた。カントのいた町として知っている人も多いだろう。
クンデラ『無意味の祝祭』のなかでは、おそらく創作だが(もしかして実話なのかな?)、なぜこの土地がカリーニングラードと名付けられたのかという話がされている。
カリーニンは当時、スターリンの部下だった。カリーニンは持病の影響でとてもトイレが近かったのだが、スターリンはそれを知っていて、あえて長々と話をした。カリーニンはスターリンの話を中断する勇気がなく、結果漏らしてしまうことがあったらしい。スターリンはこの哀れな部下の忠誠と真面目さに感謝し、ケーニヒスベルクに彼の名前をつけたというのだ。
「自分のパンツを汚さないために苦しむこと・・・・・・自分の清潔さの犠 牲者になること・・・・・・誕生し、成長し、脅迫し、攻撃し、ひとを殺す尿意と戦うこと・・・・・・はたしてこれほど散文的で人間的なヒロイズムはあるだろうか?
ぼくはその名前がぼくらの街路につけられている自称偉人たちなど屁とも思わない。彼らが有名になったのは、じぶんたちの野心、虚栄心、嘘、残虐行為のおかげだ。カリーニンだけはどんな人間も経験した苦しみの思い出、じぶん自身以外のだれにも不幸をもたらさなかった絶望的な戦いの思い出として、その名が記憶に残るだろう」
「わたしが死んだら、十年ごとに眼を覚まして、カリーニングラードがずっとカリーニングラードのままかどうか確かめたいくらいだ。そうであるかぎり、わたしは人類との連帯感を少しはおぼえることができるだろう。そして、人類と和解して、ふたたびじぶんの墓にもどるだろう」
ポーランドは2023年から、カリーニングラードをクルレビエツ(ケーニヒスベルクのポーランド語読み)と呼ぶことにした。ロシアのウクライナ侵攻に抗議の意を示すためだ。また、国内世論を反映したもの、あるいはそれを煽るものでもある。この最近の事実を鑑みるとき、上の文章はよりいっそう意義深くなると思う。
しかし、お漏らしを我慢するところから人類の連帯を考えるとは、クンデラはやっぱりすごい。
印象深かった文章をもう少し引用しておこう。
「あんたの周りをながめてごらん。あんたに見える者たち全員、だれひとり自分の意志でそこにいるわけじゃないのよ。もちろん、いま言ったことはあらゆる真理のなかでもっとも平凡な真理だわ。あんまり平凡で、肝心なことだから、みんなは眼にも耳にも入れなくなっているだけよ」
これはアラン(一応主人公的存在)の母親のセリフ。アランと同じようにぼくもまた、このセリフのすべてに賛成だ。
「だけど、ヘソ出しルックが新しい千年を開始したことを忘れないでくれよ! まるでこの象徴的な年代に、数世紀ものあいだぼくらが本質的なこと、つまり個性とは幻想にすぎないことを見るのをさえぎっていたシャッターが、だれかの手によって持ち上げられたようじゃないか」
なぜヘソ出しルックは、個性が幻想にすぎないことを意味するのだろうか? アランはこう語る。
「ひとつはっきりしていることがある。太腿、尻、胸とは反対に、ヘソはそれをつけている女性のなにも語らず、その女性でないなにかを語っているということだ」。
「なんのことだ?」
「胎児のことさ」
「胎児か、もちろん」とラモンは認めた。
するとアランは言った。
「かつて愛とは個人的なもの、模倣できないものの祝祭、唯一無二のもの、どんな反復も認めないものの栄光だった。ところが、ヘソはただ反復に反抗しないだけでなく、逆に反復への呼びかけなのだ!
そして、ぼくらは今後の千年間、ヘソの徴のもとに生きることになるだろう。この徴のもとでは、ぼくらはみんなお互い似たような性の兵士になり、愛する女性ではなくて、腹の真ん中にあって、唯一の意味、唯一の目的、あらゆる性愛の欲望の唯一の未来を体現する、同じちいさな穴に視線を釘付けにすることになるんだよ」
たとえば韓流アイドルがみんな同じような見た目でヘソを出して踊っているとき、なにか不気味なものを感じないだろうか? ぼくはアランのこの言葉を、単に気持ちの悪いこじつけと切り捨てるわけにはいかないと思う。
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