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いま、私にできること

新型コロナがものすごい嵐を起こしてから約1年。
今もまだ続く大嵐の中で、いま、私にできること。

世の中を引っ掻き回す人がいて。
振り回されつつも必死で生きている人たちがいて。
人はそれぞれ、自分の理想と現実の狭間にいる。

幸せになりたい。
人を幸せにしたい。

この気持ちはほとんどの人が感じていることだと思うけれど、
自分に向けられている思いには、なかなか気づかないことも多い。

今、「自分には価値がない」と思い込んでいる人が
多いような気がする。
無価値な人なんていない。
誰もが幸せになる権利があるはずなのに、
自分にとっての幸せがどのようなものなのか、
理解できていない人もいる。

私も含めて。

そもそも自分が考える「幸せ」が、
本当に自分を幸せにするものとは限らないところが
悩ましいところ。

自分が欲しいものがすべて手に入れることが幸せ。

そんな物理的な「幸せ」は、
去年末の「地の時代」から「風の時代」に変わってから、
少し意味が変わってきている気がする。

だからこそ。

幸せになりたい。
誰かを幸せにしたい。

そんな抽象的な表現が出てくるのかもしれない。

私は今まで…

両親に不自由なく暮らして欲しい。
そのための基盤となる持ち家が欲しい。
いつでもタクシーが使える財力が欲しい。
私自身、欲しいものが手に入ることが嬉しい。

そんなことを考えていた。
でも先日、母が言った。

「あんたがいると安心できる。いないと不安でしょうがない」

そうか、私は「ここにいる」だけで誰かを幸せにできている。
何もしなくても。
何かを買わなくても。
「私」という存在が母のそばにいることで、
母は安心してくれる。

いま、私にできること。

それはお金でもなく、物でもなく。
「私」という存在に価値を見出すこと。

それが大事なのではないかと。

だったら、私はそのことを肝に銘じて
「今ここにいること」に集中する。
私自身は、聖人というほど立派な人間ではないけれど、
この存在で誰かを幸せにできるのなら、
その時間を大切にしていきたい。

昔は、私なんて無価値なものだ、生きていてもしょうがないと
考えたこともあったけれど。

今は違う。
私は今のために、これまで生きてきたんだ、と思える。
この不安定な世界で、誰かの幸せになること。

それは、私自身も幸せにしてくれる。
私はここにいていいんだ、と納得できる。

誰かが。
あなたを必要としている。
お互いに必要としあっている。

だから、大丈夫。

もしあなたがこの文章を読んだとき、
こんなの楽観主義だと思うかもしれない。
でも、それでいいんだと思う。

楽観主義、上等!

間違いを起こしたことのない人なんていない。
だからそんなに緊張して生きなくてもいい。
間違えたら、間違えたことを理解すれば、正すこともできる。
理解できないなら、人を頼っていい。

新型コロナの流行は、
私に、そんな考え方を与えてくれた。
流行の前と後で、私たちは否応なしに変化した。
今までと違う生活の中で、
今まで問題なく過ごしてきた人たちが、
様々な辛い状況に追い込まれていることは
毎日の報道で何度も何度も耳にする。

だから、どこに意識を向けるかで、
まったく違う道を進むことになるのかもしれない。
それは、一直線ではなく、様々な人と絡み合いながら、
自分だけでひとりで生きている、
そんな考え方をすっかり消してしまうほどに。

物理的なだけでなく、心のこととしても
人と人との正しい距離感というものが出てきた。
踏み込みすぎず、かといって突き放すのでもなく。

お互いに必要な距離を保つこと。

これが、いま私にできること、かもしれない。

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