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人生楽しみつくそう!


父が亡くなって4ヶ月が過ぎました。


あっという間に..一年ぐらい過ぎたような...
そんな感覚になるぐらい、毎日が忙しくて、
悲しむというか..ふと、思い出す時間ぐらいしかないぐらい...育児に追われていました。


父が亡くなったのは3/14日のホワイトデー。
このノートを更新した後すぐ、、
偶然、母と私が電話しているときに逝きました。退院して一週間もしないで逝きました。

入院してから面会もできなかったし、
zoom映像での父の姿を、
医療関係につとめている兄が見て。
もう時間がない...と悟ったのだろうね。

病院に無理をいって父を自宅へ
連れて帰ってきてくれて
無事に退院となったのです。

私は父が入院した時点で、
もう会えないだろう、と、
覚悟は決めてました。

ずーとずーと家族に文句はいわれ続けたけど、
それでもずーとずーと言い続けていました。
最後に兄は魂で理解したのかな?とも
思っています。


しかし、退院はしても。

母は最後まで点滴を...と、
私は大反対で、自然にと、
退院しても揉めていました。

苦しまないようにと、
お互いに父のためと思っていても、
全然違うのです。

点滴したようでしたが😭

ただただ、父がなくなって、感じるのは。

父は、母と私の気持ちを全部見通して、
2人が電話している時に、苦しむことなく、
1人ホワイトデーにふっと逝ったのだな、と
思っています。

家族愛に満ちた人でした...

父らしいな、とも思いますね。


ん?


あれ?


家族愛に満ちた人でした、と書きましたが。
そんなに綺麗事で生きてないです。


父は。

私が1才の時に、
渋谷の病院に入院しました。精神病棟。
母子家庭みたいな環境で私は育ってます。

入院期間は短くとも、ずっと患っていて。
一緒に住んでいたのに、会話すらない。
物心ついた時からずっと父が嫌いでした。

何かを教わった記憶も、
一緒に旅行へ行った記憶もない。

父との楽しかった
思い出を探しても、、ない。


いや....ひとつだけ。

原付バイクを立ち乗りで(前側)で
乗せてくれた楽しかった記憶。
その時、ススキの風景が綺麗だったこと。

悲しいことに、
それぐらいしか、思い出がないのです。


透明な分厚い箱の中に父がいて、、
一緒に過ごしていた、、←この表現が
自分が一番しっくりするのです。


亡くなってから父の日記を見ました。
若い時の夢が私とまるかぶりなこと。
書いている内容が家族のことのみ。
大泣きしました。


我が家は。

なんでも買い与えてもらってないし、勉強しなさいとも言われない、正直、何にもしてもらってないと思っていたけど。

現実を生きる厳しさ、自分で思考する大切さ、
自由を、与えてもらったと私は思っています。


今を生きるにはピッタリの教育方針!

改めて、家族愛に満ちた人でした!😆





父へ


ワクチンや、病院や、入院について、
様々、私が家族に話していても、
母や兄姉、家族から文句をいわれ
孤立していた時。

なんでちゃんと話を聞いてやらないのか?と
私がいない所で味方に
なっていてくれていたんだね。

守れずに。
ごめんね。
ありがとう。

大嫌いの期間が長かったけど、いまは大好き!
若い時、水泳大会優勝しまくっていたなら
泳げたなら、教えてほしかったな。
私は全然、泳げないんだよ!!

あなたの孫は、
25メートル泳げるようになったよ。
私は、まだ、こっちの世界を楽しむね!

ただただ、ちゃんと話してみたかったな。
亡くなってからのほうが、私はあなたに
話しかけているね。亡くなってからのほうが、
ふと思い出して、魂が近くなった気がするよ。
ありがとうございました。










偶然なのか必然なのか、
こんな動画を見つけました!

人生楽しみつくせ、と父から、
言われている気しかしません。。。



制限された世界を。


喜怒哀楽を。


ユーモアをもって。


互いに人生楽しみつくそう。


私も、あなたも、幸せでありますように🙏

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