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おじさん構文!?解説【くしかつ先生の校外学習】001

人生とは二度漬けの繰り返しである。くしかつ先生こと、アラフォーグルメ教師@ダイエット中、くるみざわよしかつ ここに参上。
本編はこちらから↓↓↓

本日は現役教師(フィクション上の設定ではあるが)の小生が、自身のおじさん構文、いや珠玉のガラケーメール術を披露、解説しようと思う。

まずは百聞は一見に如かず。こちらをご覧あれ。

これは令和3年5月に、2000年代前半のテイストをオマージュしてリリースした作品であるが、あの頃は皆 こんな感じだったので、どうかキモいとか言わないでいただきたい(泣)

携帯電話メールは、SNS普及前夜の時代にあっては無双だったので、その特性を存分に活かすことがポイントだった。

Twitter(200X年にはまだ知られていなかった)のように手軽にタイムリーに。
深夜早朝の迷惑な時間は避けつつも、メールと鉄は熱いうちに打て。

Facebook(200X年にはまだ存在がマイナーだった)のように自分を表現。
近況を語り、回答したくなる質問をし、相手の健康を思いやろう。

Instagram(200X年にはまだ無かった)のように画面映え。
文字だけでは殺風景。文中と文頭に絵文字を飾ろう。絵文字の数で好意の強さを表そう。

それでは、より詳細に解説しよう。

⇒「とりあえずビール」世代としては、とりあえず「おつかれ」。
昨晩はプロ野球のエースピッチャーも顔負けの中4日の登板であったが、小生のトークには本来のキレが見られなかった。そんな相手とのディスタンスが敬語を使ってしまうところに表れている。


⇒昨晩の席でこのコの酒量が話題になっていた流れを汲んでいるのだが、
令和では、おじさんの語尾がカタカナになるのも巷で話題のようである。

諸説あると思うが、小生の場合は言葉が本来もつ辞書上の意味を柔らかく見せたり逆に目立たせるときに使う。英文法の学習で出てくるあの腹に落ちにくい言葉、婉曲(えんきょく)に近い。

若い男女とは言え、小生も相手も社会人数年目の大人であり初対面である。いきなりタメ口では馴れ馴れしすぎる。しかし、ばっちり敬語でも堅苦し過ぎる。それでも何とか距離を一歩縮めたい。ここにはそんな激しい葛藤が隠されている。


⇒さりげなく「あなたとの時間が充実していた」ことと、「まじめに見えるけど隙もあります」アピール(受け身だな)。


ちなみにTHE BLUE HEARTSを歌ったというのはボケではなく実話であろう。時代は合わないが、2000年代に80年代の曲を熱唱するカラオケ界隈のクラシック愛好家は若者でも多く存在した。今で言えば、20代の人が氣志團あたりにハマるようなものか。


⇒最初は敬語から入ったが、メールも中盤に差し掛かり、このタイミングでしれっと「ちゃん」付けしておく。

また、彼女との関係を発展させるためにはライバルも少なからず存在するので、彼女と交わしたそんなに多くない会話を手掛かりに、「スポーツ」という小生にとっては差別化が見込めるキーワードを埋め込んでいる。


⇒小生は転勤でこの地に来たばかりで、あすかちゃんは地元のコという設定。シチュエーションによっては逆に「今度オススメの××を教えてあげるよ」という展開もあり得る。おじさんLINEぽくなってきたではないか(ワクワク)

語尾は婉曲のカタカナ結び。
文脈上、タメ口だと厚かましいが、敬語だと事務的過ぎるのでカタカナを駆使することで依頼に対する強制力を曖昧なものにしている。

「このスキー場がいいよ」とか教えてもらうことはそこまで期待していない。それよりも、ここからメール上の会話が弾むための何らかのきっかけを探している。可能性は低いかも知れないが、話が盛り上がって将来的には一緒にスノボに行けたりしたら最高だ。

要はワンチャンなのだが、この言葉も当時は麻雀用語以外には無かった。


⇒一番言いたかったのは、この一節だったりする。小生の世代も「結論から言え」と会社でよく叱られたものだが、日本人にとっては頭の使い方上、意外と難しいものだ。

今あの頃の皆が、課長とかになって同じように若者を説教していそうで怖い。

ここでは気持ちを込めて、ここぞとばかりに絵文字を羅列させている。その並べ方には意味があるような無いような だが、そんなところにもさりげなく、あざとく愛嬌を忍ばせている。


⇒「おじさん構文は、やたら応援をするw」とか言われているようだが、バブル崩壊や就職氷河期を経験し、昭和ど真ん中の上司をダイレクトに相手にする小生たち(ゆとり世代の皆さまの緩衝材です)。特にビジネスに関してはお互い応援し合うのが基本である(私見)。


まとめ

200X年、教師になる前に食品系商社に勤務していた小生。地方に配属され、不慣れな営業の業務に四苦八苦していた。

そんな小生を元気づけようとしてくれたのか、それとも芸達者で「中部地区の芋洗坂係長」と呼ばれていた小生をイジると場が盛り上がるからか、

先輩や同期から、初対面の異性とお知り合いになれるイベントに呼んでもらえることが多かった。

LINE無き時代。運良くお目当ての相手のメアドをゲットすることができたら、いかに効果的な一節を送信するかに、すべての成否が掛かっていたと言っても過言ではない。

当時は平成真っ只中。ポスト昭和、IT革命、押し寄せるデジタル化の波。それでも今ほど公私のイベントが、まるでスマホ画面のアイコンのように細分化されてはいなかった時代。

アナログ思考であっても、緩やかに境界を越え合って楽しい時間を生み出せるように行動していた人が多かった。

あの頃の皆に乾杯したい。

そんなことを思った令和3年の昼下がりであった。

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