さよなら悲劇のヒロイン 主演でありながら監督でもある生き方のすすめ
こんにちは。かけだし社長の小寺です!
今日は、人生において「主観的視点」と「客観的視点」を持つ大切さを考えていこうと思います。
これを考えるのに、お芝居を例に挙げて考えてみます。
人生をひとつのお芝居に置き換えた時に、
人生の主演はもちろん自分です。
ただ、主演だけではお芝居は完成しません。
監督による演出があって、はじめて主演も輝きます。
人生においては、
・主演を演じることを「主観的視点」
・監督として演出をすることを「客観的視点」
と捉えることができると思います。
この双方の視点を持つことは、人生をうまくいかせる上で、とても大事なポイントになってくると、僕は思います。
主演は悲劇のヒロインになりやすい
主演、つまり「主観的視点」のみで生きていくと、どうなるでしょうか。
主演なので、もちろん舞台は自分のために用意されているわけです。
人生という舞台を楽しもうと思えます。
ただ、主演には、いくつか弊害もあります。
まず、演じている範囲でしか物事を見れないわけなので、当然視野が狭くなります。
舞台から見た風景、主演から見た登場人物しか見えないわけです。
また、自分というキャラを演じてばかりいると、思考が凝り固まりやすくもなります。
自分中心にお芝居が回ると信じ込んでいます。
ただ、そうなると「悲劇」への対応で、もがき苦しみます。
自分しか見えていないと、
「なんで自分ばっかり、、」
と悲観的な状態に陥ってしまいます。
こうなると、まさに悲劇のヒロイン状態です。
監督としての客観的視点を持つ
そこで大事になってくるのが、監督としての客観的視点です。
主演を務めると同時に、監督としての客観的な視点を持つと、悲劇のヒロインには陥りにくくなると思います。
監督には、舞台全体、そしてお芝居のシナリオ全体が見えています。
監督には「起・承・転・結」という概念があります。
仮に主演からみたら、とんでもない悲劇だったとしても、監督からしたら、それは「転」にしかすぎないわけです。
そして、必ず「結」が来ることを知っています。
監督は、その悲劇を乗り越えた先にハッピーエンドが待っていることを知っています。
そして、悲劇にこそ、主演に次のようなセリフを用意します。
「面白くなってきたぜ!」
今しか見れない主演と違い、
監督には流れが見えています。
舞台やシナリオ全体が見えている監督からしたら、悲劇は巧妙な演出であり、舞台を盛り上げるためのスパイスなわけです。
また、監督は適材適所、必要な役柄や、舞台配置も考えることができます。
必要に応じて、必要なイベントや出会いを設け、舞台を盛り上げていきます。
そう、監督にとっては、主演以外も、舞台にとって大事な要素であることを知っています。
この「主演以後を活かす」という発想ができると、選択肢は途端に増えていきます。
様々な因果関係がからみあって、物語は面白くなっていきます。
主演だけではどうにも打破できない現状も、様々な出会いやイベントを経て、乗り越えることができます。
これが監督が待つ、舞台演出の力です。
主演と監督のハイブリッドな思考を持つ
主演として、人生を楽しむことは、とても大事なことです。
ただ、主演として、のめり込むあまり、時として周りが見えなくなることがあります。
そんな時は、監督として客観的な視点を持つことで、様々な解決方法や演出を思いつくことができると思います。
主演自分であり、監督自分。
両面がかけ合わさったときに、人生という舞台は最高に面白い物語へと変貌していくのではないでしょうか。
以上、僕が考える、主観的視点と客観的視点の大切さでした!
それではまた!
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