見出し画像

改めてはじめに

私は大学で環境心理学を学びました。その後、設計事務所、インテリアデザイン事務所に就職し、独立する前は公園をプロデュースするベンチャーの立ち上げに関わる仕事をさせてもらった。20代頃は「風景を建築する」とはどういうことかを考えながら仕事を続けていた。なので仕事であった”設計”以外にもいろいろチャレンジした。原宿にあるキャットストリートで園芸クラブを作ってみたり、フードコミュニケーションLABという参加者みんなでご飯を作って、食べて、語り合って、片付けるという家族の風景を切り取り共有することでできるコミュニティ実験、アートイベントをアーティストと開催、空き家・古民家の活用の企画、デザインしてみたりととにかくなんでもやってきた。でも、それらは一時的な映画のようなシーンはデザインできても、風景を建築することになっているように思えなかった。

風景は、ただそこにあって、その地域に暮らす人たちの行動が積み重なって生活が出来上がり、その生活が積み重なって人生が出来上がる。そんな感じでできるのが風景なのではないかと。もしそうなら、街並みをデザインするだけでは風景は作ったことにならない。地域に関わる人たちの行動が変容することで「風景を建築する」ことができるのではないかと考えはじめました。

人の行動を変えるには、その人たちのマインドを変える必要があります。どんなまちで生活したいのか、何を大切にしたいのか、何が楽しいと思うのかなどを話し合い、自分たちのまちを自分たちでマネジメントしようという気持ちを高める。自分たちのまちのゴール設定をし、そのために必要なデザインを考える。これが「風景を建築する」ということなではないかと思っています。

旅で気づいた課題点

一つ陥りやすい問題として、自分のまちだけで完結しがちな点です。閉鎖的なコミュニティは継続しないのは歴史が物語っています。大事なのは自分たちのまち強みを活かし、他のまちと交易をすることだと思います。交易をすることで、足りない情報、ひと、物資、考え方などが新たな気づきを与えそのまちの文化をアップデートしていく。まだまだ日本の地域は閉鎖的なところが多く、外者馬鹿者なんて感じで避けられることもしばしばあります。またそこの住民だとしても新たな挑戦をする人に対して同じような扱いを受けている方もたくさんみてきました。行動の変容は現状の安心から離れることなので反発が怒るのは理解できますが、ただ未来の安心はその時考えられていません。現状の安心を優先し、先の未来は知らない、無意識に自分勝手な生き方をしている人がいます。

私はこのように各地域で孤独にも挑戦を続けている人たちを応援したい。そしてその挑戦をつなぐことで、「風景を建築する」ということができるのではと考えています。その挑戦者たちを応援し、つなげるコミュニティを作っています。ご興味ある方はご連絡ください。

私自身、長崎県壱岐市では”落語”を、石川県能登町では”きこり”をしながらまちの人たちとまちの未来を語り合っています。この2年半で46都道府県を回りました。残るは富山!富山も早く行きたい!壱岐でもイベントやっているので壱岐でお会いしましょう!

5/31〜6/2 壱岐未来合宿を開催

お申し込みはコチラ

6/3-6/4 落語と音楽のちっちゃなBIGフェス

https://l-tike.com/play/mevent/?mid=689437


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?