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雨粒が身体を溶かす。

それは、与えられた命の時間を認識することなのかも。

長い年月をかけて山や岩を削り取っていく雨(雨粒)は、「自然」というモノの特別な理由もない循環の一部をこの梅雨の時期に多く見ることができるのですが、それは私たちの身体に対しても同じことのように削り取っている感覚。

人の身体も自然の一部だと考えれば当然のこと。でも、
"今"を生きてる私たちに身体を削られてる感覚はない。

この当たり前のような理論的?鈍感?さは、今そこにある命の存在の影のようにも映る。

手の中に降り落ちる雨粒がやがて岩盤を切り裂くまでの時間を想像させたとき、それが与えられた命の時間かもなと、ふと考えてみたのでした。。。


さて、今日も依頼人先での打合せ行ってきます!

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