全員責任は全員無責任
タルムードの「○○になったワイン」から、3段階くらいの思考展開があったので、記録しておきます。※詳しい話そのものはググって欲しいです。ここでは簡単なストーリーとその時思ったことを書いてみます。
[概要]ある貧しい村に新しい指導者(神父さんと言った方が分かりやすいかな)が来ることになりました。村人は歓迎会でワインを振る舞おうと教会に空のワイン樽をおいて、神父が到着する前日までに、それぞれの家から、みんなで一杯ずつ樽へ入れることにしました。歓迎会当日いっぱいになった樽から出て来たのは「味のしないワイン」だったのです。それはなぜでしょう。
①みんな味覚異常な状態だった。(笑)と考えたのですが、実は貧しいが故に、村人それぞれが、自分だけなら水を入れても薄まるだろう。と行動した結果、全員が同じように水を入れてしまっていた。というオチです。
②そのオチを聞いて、主催側の立場としては透明な樽(または見えるような容器)を準備しておかなければならない。※透明性を担保
③虚勢を張る必要はなく、あるがままで他の歓迎の意志を伝える方法を考える。現状の困窮vsもてなす常識の構図かもしれない。
全員に責任を持たせると、責任力が薄まり、結果全員が落胆する。
これって、周りでも身に覚えありそう、ですね。
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