見出し画像

信頼できる反対意見者を持つ

自分の考え方に批判的意見する人がいると場の空気は悪くなり、排除する方向になることも出てくる。(少なくとも、言われた方は気分は良くないだろうから)逆に論破することへ執念を燃やす人も見受けるが、「反対意見する役割」として存在することは重要かもしれない。

まして、忖度・同調圧力に弱く多数意見に飲み込まれやすい私たちは少し立ち止まって考える必要ありそうだ。

多数派に対して、あえて批判・反論する人「悪魔の代弁者」

「ある意見が、いかなる反論によっても論破されなかったがゆえに正しいと想定される場合と、そもそも論破を許さないために予め正しいと想定されている場合との間には極めて大きな隔たりがある。」
「自分の意見に反駁・反証する自由を完全に認めることこそ、自分の意見・行動の指針として正しいといえるための絶対的な条件なのである。全知全能でない人間は、これ以外のことからは、自分が正しいといえる合理的な保証を得ることができない。」
ジョン・スチュアート・ミル[自由論]

市場原理によって価格が適切な水準になるのと同じように意見や言論も多数の反駁・反論をくぐり抜けることで、時間をかけて優れたモノだけ残る。という考え方は納得するところ。(「正しい」っていうのは時間かかるね)

経営者や家庭内でも同じ、いかに信頼できる「悪魔の代弁者」を持つかによってその後の人生も決まる。

無論、極端に偏った自己中心的意見は誰も聞く耳は持たない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?