生とは、死とは
考える場面があったので、現時点で(直感的に)想うところを記録しておきます。
「生」を語るには対局の「死」がなんなのかを知ることなんですが、一般的に死んだ人は語れないので、それも知ることができない。
とすると、生きてることも非常に曖昧な定義に行きつくのですが、それでもなお、言語化するとすれば、
「生と死」は今食べている”みかん”のようなモノで、皮(身体)に覆われていて、中身が熟していて美味しい精神状態、、でしょうか。
精神は成熟して行けばピーク時に大変美味しくいただけますが、その後は腐って行きます。それが嫌で凍結(思考停止)する年配の人もいると思いますが、私は次の世代がまた成長して行けるように、ピーク時が過ぎれば肥しとなって朽ちるのも本望かなと考えます。
ただ、成熟するスピードや濃さはそれぞれの考え方(生き方)でもあると思うので、より自然の摂理を浴び、謳歌したいと願うばかりです。
※おいしそうと思われて苦くても、面白そう(笑)
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