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夏休みの宿題、促すとしたら。

子供へ、大人になった人たちへ、または当時の過去の自分に対して、夏休みの宿題に向かわせるとしたら、どうするだろうか。

それぞれの個性に合わせるのが得策と思いつつも、「向かわせたい」コチラ主体で進めるには、、、と思って少し考えてみました。

「アメとムチ」、「ゲーム性」、などあるかもしれないけど、宿題(の中の課題ひとつでも良いので)そのものを一緒に疑って考えてみるのも面白いような気がします。

これは会社や組織なども同じかもしれません。

同様に”課題”はあるのに、主体性が自分に無ければ保守的に回って、やらない理由(できない理由)を探し、代案もなく幼稚な理屈を展開する。

このとき、それでもアメムチやゲーム性を駆使し「やれ!」と強いリーダーシップを発揮するのか、課題そのものを一緒に疑うのかによっては異なる結末もありそうだな。

と、やる側とやらせる側の立場を一段抽象化するイメージも出来そうなので記録しておきます。




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