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『人それぞれ』の手前の本質を追う。

「ヒトそれぞれだから」と、言ってしまってはすべてが終わる。(いや、終わらせようとするときに使う言葉でもあるかしら。)

でも、それを言う手前のところで共通点・共感を得るのに苦悩する。

この文章もある意味、独りよがりの吐き捨ての場や個人の記録よりは、誰かの共感を得るとすれば、独立した文章個性として意義もありそう。

そう、文章には読み手側のメリットを考慮する必要もあるらしい。

先日長文を投稿したけども、そのストーリー展開に途中混乱させる場面もあり反省している。(やはり共感得るような言語化は苦手意識が強い)

良い文章とは、書いた本人も楽しく、読み手にも何か得るものや考えるキッカケになったりする想いが交錯し、フォーカスが合ってきて息遣い(呼吸)のテンポも同期するのかもしれない。

そんなことは気にせず投稿するのも良いのだけど、そこを極論である「ヒトそれぞれ」で逃げてしまっては、自己成長の度合いも鈍くなる。

真実などない、あるのは解釈だけ。でも、個々の解釈の手前で本質的な意図を見出したとき少しは共感得る幅が広がりそうです。

展開抽象化した本質を描くには対象となる周囲を見渡すこと、つまりは徹底的な調査から始まるものと理解しました。

さて、何の本質に挑もうかしら。(んー、その前に本質的な本を読もう、笑)

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