見出し画像

仕事に追われれば色んな記憶もすり替えられると
勝手に思っていた。
試しに2、3個の会社と同時に仕事してみたが
結果は疲れ果てただけだった。
タスクの大変さというよりは、人間の雑談が難しい。
これは日本語だろうが英語だろうが言語は問わない。
表面的な気遣いなんて、わたしにはいらないし
ましては私の業種にはそんなに必要なものでもない。
勿論誰かが本当に疲れてきっていたら、それは深刻な問題だから問いかけは必要だと思うけども・・。

どうして今日またこの日記を書こうと思ったか。
それは私のような社会に馴染みづらい人間が
どうやって社会と交わって生きていけるのか、
記録にとっておこうと思ったから。
10年ぶりに再会した
神経精神科の医師には、
私に発達障害の傾向があることはわかっていたけれど、仕事もはまっていたし
あえて言わなかった。
最近はやたらと分ける傾向があるけど、そんな必要はほんとはないのよって
言ってくれた。
私の人間との悩みも
私がきっかけで起きたことでもないし、
それでどうしてだろうなんて、気に病む事なんてないって言ってもらえた。

私もそうだと思う。
あなたが生きやすいように、生きればいいんだと思う。
それだけだと思う。

そうそう、始めに書いた
色んな記憶というのは
昨年のあの頃は元夫とこんなことがあって
楽しかったなあっていう記憶だ。
自分がそんな気持ちになるなんて思ってもいなかった。
私は私なりに大事に愛していたんだ。
きっとその愛は世間一般的な表現ではないのかもしれないけれど。
あんなに強く押し倒されるまでは、愛があったんだ。
その前の週にぱんだちゃんっていう名前のぱんを買って
お昼ご飯にあげた事だって覚えている。
そのぱんを元夫は気に入っていたから。
付き合っていたころに、一緒にキャッチボールして楽しかったことも覚えている。
どうしてあんなに強く押し倒して・・・
そんなこと考えたって永遠にわからないけれど。

さようなら記憶。

いいなと思ったら応援しよう!

ASDの美月【成人発達障害の社会との関わり方にっき】
サポートして頂けると、記事を執筆する励みになります。 これからも生きづらさや違和感について書いていきたいと思っています。 もし貴方がそれを気に入ってくれましたら、ご支援のほどよろしくお願い致します。