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『お浄土の花』 創作指示書

 先日、当山(お寺には「山」のつく別称を持つものが多くあり、自分の属するお寺をこのように呼んだりします)にて、七十歳から八十歳代のご婦人方を中心とした七名の手による絵画『お浄土の花』ができあがりました。この過程も含めた一連の時空間は、この世においてあの世を漂わせながらどこか噓のようにふわふわと明るく温かで、しかし同時に手には確かな湿り気と絵の具の汚れを残す、楽しくも切実なものでした。あの感覚が何処かの何方かの身にもおとずれるものであってほしい、との思いから、創作指示書を記すことにします。


 以下は『お浄土の花』という平面作品をつくるための指示書です。実施する場合は二人以上の人数で、同じ場所、同じ時間に行ってください。

※「同じ」の定義は問いません。


手順0 つくりはじめる前に

 西の彼方の極楽浄土といえば、温泉に浸かった瞬間、足の先から頭のてっぺんにむかってあわ立つ快楽と共に漏れる出る嘆息「あー極楽、極楽」というのが最も一般的な使用方法です。一方で本来のお浄土は、死後、地獄に落ちるほどの悪人ではない、と閻魔大王のお墨つきをもらったひとだけが迎え入れられる極上の快楽の世界である、というのも、なんとなくよく知られた話ではないでしょうか。その他、お浄土についてこの世を生きるすべてのひとに共通して言えそうなことは、誰も見たことがない、ということです。ですから、素人がこれを何かしらのかたちにしようと目論んだときには正解もなければ失敗もなく、あるのはただ、うすぼんやりと「お浄土ってこんなかんじ?」という納得もへったくれもないような、いわば抽象画を真似たような「雰囲気」です。大切なことなので、もう一度。正解もなければ、失敗もありません。では、具体的な手順に移っていきましょう。


手順1 『如衆水入海一味』

 見たことがない、というより、目に見ることができないものをあらわそう、と考えたとき、最もポピュラーな方法のひとつに「それって何に例えることができるんだっけ?」というのがあります。では、お浄土を例える「何か」には、一体どんなものがあるのでしょうか。日本において温泉以外のお浄土といえば、いわゆる鎌倉仏教に数えられる浄土宗、浄土真宗のおしえに示される仏の世界です。死後、みんなが迎えとられるとされるこの世界を、浄土宗の開祖、法然さんのお弟子であった親鸞さん(後に浄土真宗の開祖とされます)は「海」に例えられました。親鸞さんの書かれた正信偈というおうたの中に「海」という字は五回登場するのですが、その一つに「如衆水入海一味(にょしゅしいにゅうかいいちみ)」ということばがあります。この字面から、なんとなく意味を想像してみて思い浮かぶそれは、おおよそ正解です。あらゆる水は川に流れ、すべての川はやがて海へと流れ込み、そこでひとつの潮となります。どんなに汚れた水、どんなに小さな川であっても同じです。いつか海にたどりついて混ざりあい、同じひとつの味になります。ここで水や川に例えられているのは、限りある命を生きるわたしたちやその生き方です。お浄土という海がその全てを引き受けて「わたし」というこだわりや「あなた」という隔たりを、たゆたう波のなかに溶かしてしまい、無限のひろがりそのものへと姿をかえる、そんなイメージでしょうか。というわけで、まずは海をつくります。

 ・三色のアクリルガッシュを選ぶ
 ・百円ショップの洗濯糊を混ぜる
 ・白い紙皿に水と洗濯糊を入れる
 ・三色の絵の具を順にスポイトで垂らす
 ・爪楊枝で撫でるように模様を描く
 ・画布の表面を浸けて模様を写しとる

※ 以上の手順は、要するに「マーブリング」という技法を意味します。より詳細な実施方法を確認されたい方は、ググるとたくさん出てきます。使用する素材は実は何でもよく、古いマニキュアなんかもおすすめです。

 ・お茶を淹れて休憩する
 ・共同創作者に近況をたずねる
 ・ゆっくりまばたきをしてみる


手順2 『而雨曼陀羅華』 または 『池中蓮華・大如車輪・青色青光・黄色黄光・赤色赤光・白色白光』

 お浄土を例える、の前にそもそもお浄土は実在するのでしょうか。その存在を「確かにある」と言い伝えた最初のひとは一体誰だったのかというと、みなさまご存知の「おしゃかさま」です。釈尊、または、ガウタマ・シッダールタ、ともいわれます。ここでは釈尊とお呼びしたいと思います。現存するお経典に釈尊が自ら書き記したものはなく、その死後百年くらい経ってから、それまで口伝えであった教えの内容を昔のインドのお弟子方が書き起こしていかれました。お浄土について、どこらへんにあって、どんなところなのかを詳しく描写されたものといえば、ひとつには仏説阿弥陀経を挙げることができます。お経典は大体の場合、こんな場面で、こんな立場のひとが、こんな質問を投げかけたのに対して、釈尊はこのようにお答えになった、というような物語形式で書かれています。しかし阿弥陀経では、釈尊は誰に何を問われるでもなく、直弟子であり智慧第一とうたわれた舎利弗にお浄土の様子を語りかけるさまが描かれています。そこにはお浄土の美しさ、清らかさ、心地よさが言葉の限りを尽くして語られるのですが、その中に「而雨曼陀羅華(にうまんだらけ)」というおことばが出てきます。直訳すると、雨のように(まんだらけの)花が降る、という意味です。昼夜をとわず美しい花の雨ショータイムが行われている、みたいな風に想像してもらえるとよいと思います。この少し前に、宝石でできた池とそこにそびえるやはり宝石でできた楼閣、そしてその池に浮かぶ色とりどりの大きな蓮の花が描写されている箇所があり、具体的には「池中蓮華(ちちゅうれんげ)・大如車輪(だいにょしゃりん)・青色青光(しょうしきしょうこう)・黄色黄光(おうしきおうこう)・赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)・白色白光(びゃくしきびゃっこう)」とあります。池に浮かぶ蓮の花は車輪並みに大きく立派で、青い花は青い光(影)、黄色い花は黄色い光(影)、赤い花は赤い光(影)、白い花は白い光(影)、それぞれがそれぞれの光を放ち、影を落とし、ありのままで調和して咲いている、そんな姿を讃えている様子です。冒頭でお話ししたとおり、この指示書の目的は『お浄土の花』をつくることですから、それは一体誰からどんな風にして現代のわたしたちに届いているのか、ざっくりとご説明しました。それでは実際に、これを描くことに取り掛かりましょう。

 ・三色の絵の具の一つを絵筆か指にとる
 ・雨のようにかがやく花吹雪を想像する
 ・絵の具をさっと軽く画布にのせる
 ・同じことを何度か繰り返す
 ・他の色絵の具で同じことを繰り返す
 ・三色終えたら絵筆を洗う

※ コツはやり過ぎないということでしょうか。

 ・お茶を淹れなおしお菓子を用意する
 ・共同創作者と感想を交換する
 ・立ち上がって外に出る
 ・深呼吸をする
 ・手についた絵の具を探して数える
 ・選んだ色に近い色の風景を探す


手順3 『黄金為地』

 お浄土の地は、金でできているそうです。阿弥陀経には「黄金為地(おうごんいじ)」というおことばで書かれています。確かに、阿弥陀経をお勤めする浄土宗や浄土真宗のお寺のお堂は、とにかく金ピカな作りです。惜しみなくきらびやかで風光明媚な襖や欄間、豪華でありながら繊細で色彩豊な打敷や水引、大きな天蓋の下がるお内陣(最奥の仏をご安置する空間)など、その様はいたるところに見つけることができます。ではなぜお浄土はそんなにもキラキラとした世界でなくてはならなかったのでしょうか。釈尊が問わず語りで舎利弗に説かれたお浄土の世界は、一説によると、当時(紀元前五世紀前後)のインド社会において奴隷以下の身分とされた大勢の不可触民が集まる場所、行き場のない彼らの最期の地でのお話しだったそうです。その頃のインドにおいて、カーストと呼ばれる身分制度は絶対的なものでした。生まれによって身分の貴賤を定めるこの制度は、国家宗教と結びつき、絶対の法として人々を縛っていたのです。現世において身分が低いのは前世での罪深い行いの結果であるとし、現世の身分によって定められた法を破れば来世はより低い位に生まれることになる、と教えました。前世を借りに、来世を人質に、現世を強いるこの絶対的な政治制度のなかで、不可触民とされた人々の命は、価値が無いどころか存在そのものが罪悪であるとされ、忌み嫌われ、行き先を失い、ただもう命を終えていくしかない、そんな状態に追い込まれていったのです。どんな気持ちでしょうか。もう気持ちを探すことすらとうにできなくなって、心身ともに絶望からも鞭打たれる世界を生きる彼らを前に、釈尊が語られたのが阿弥陀経に記されたお浄土の世界だったというのです。ですから、お浄土は金銀財宝に彩られた、美しい世界でなくてはなリませんでした。天からは雅な楽の音が降りそそぎ、色あざやかな花々は芳しく咲き、一切の苦悩から解き放たれ、お浄土の主たる仏やその世界と一体のものとなることができる、と。現世の命を終えたその後は、このうえなく心地のよいところに参らせてもらうことができるのだ、と。そう考えると、金ピカのお堂もただキラキラとおめでたいのではなく、この命の先を感じさせてくれるあたたかい光のような気がしなくもないのではないでしょうか。同時に、何にしても、あの世のお世話になる前に、今この地面を踏みしめて暮らすわたしとその闇、痛み、苦しみが、少しだけ確かな手応えとなるような、ならないような。さて、手元の作品に目を落とすと、今ひとつ何かが足らないようにみえてきます。一体何が足りないのか。言わずと知れた、金ピカです。

 ・金箔を好きな大きさにちぎって貼る
 ・気が済むまで繰り返す
 ・銀箔をちぎって貼る
 ・気が済むまで繰り返す

※ 画材用の金箔、銀箔は、アマゾンなどの通販で安く購入することができます。貼り付けは、画布が絵の具で濡れていればそのまま爪の先でトントンと細かく触れるだけでひっつきます。画布が乾いている場合はマットメディウムなどを軽く塗るなどして貼り付けてください。コツはやはり、やり過ぎないことです。

 ・全員が仕上げたことを確認する
 ・他の創作者の作品を見せてもらう
 ・展示する場所と日時を決める

※ 全員のものを合わせて一つの作品として展示します。タイトルはそのまま『お浄土の花』でも良いですし、新たに名付けてもよいと思います。横並びに一列でも、上下、左右、前後に凹凸をつけて配置しても面白いのではないでしょうか。

 ・展示した作品を各自別々に眺める
 ・各々生花を持ち寄り近くに飾る
 ・「わたしのお浄土」と口にしてみる
 ・「あなたのお浄土」と口にしてみる
 ・海にいる自分を想像する
 ・波として立ち上がった自分を感じる
 ・波として海に溶けた自分を想像する
 ・歩き始める



 以上が、『お浄土の花』を作るための指示書です。各自が作り終わるところまでで、所要時間は約一時間半程度なので、気負わず、誰かに声をかけて作りはじめてみてもらえると嬉しいです。

 当山での創作時に、あるご婦人が金箔を貼り付けながら「私のお参りするお浄土やけん、綺麗にしとかんと」とおっしゃったことが心に残っています。それは冗談まじりで、かつどこか切実で、限りある時をひた走るひとが願わくばと思い描く何か、正体不明なのに欲することをやめられない何かが、その方の眼前に、その方の手によってあらわれ出たのだろうと、そんな気がしています。


(おしまい)

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