転校生のフィールドワークの入口

私は現在放送大学大学院修士課程で文化人類学に入門しています。ここでは未整理な頭の中を書き出すことをしてみようと思っています。

文化人類学といえば、構造主義とか存在論的転回とか先住民運動とかいろいろありますが、その辺はおいおい触れるかもしれません。

ところで、私は小さな頃から父親の仕事の関係で転校することが多く、生まれた都市に住んだことはないし、故郷らしき街の記憶もほぼなく、幼なじみと共に大人になるなどということもないのです。実家に帰ってもただの他人の家ですし、久しぶりに同級生に会っても間が開きすぎて特に話すこともなかったりします。

考えてみると、引越しは大学に入るまでに9回、幼稚園は2箇所、転校は2回、小学校と中学校と高校はそれぞれ別の街の学校でした。(そう考えると転校4回...?)正直なところ、ずっとそういう子供時代を過ごしているので別に大変だとも特別だとも思わず、親の転勤の事例が出る2月ごろは「そろそろ荷物整理するか」ぐらいの気持ちでした。あとは、ドラマとかに転校生が出る場面を見ると、どうしても転校生側の視点になってしまいます。

転校するということは、そのたびに新しい人間関係や社会の中に入っていくことです。誰も知らない中、正直者の子供達と対峙するのは大人の何十倍も面倒だと感じていました。腕っ節、学力、運動神経のどれかで最初は戦わざるを得ないし、そこで敗北すると下っ端に見られて次の転校までが面倒なので、そのときになんとなく「学力で差をつけて話のわかる人たちの集まりに入る」という漠然とした目標を立てました。大学に入学してある程度それは達成しましたが。

転校(転入)するタイミングもある程度影響があります。小学校3年のときと中学校3年の時に違う街に引っ越したときは、受け入れる側も「転校生が来た」という区切りがわかりやすいので、ある程度やりやすかったのではないでしょうか。最初に「転校生の〇〇くんです」と先生が紹介しますからね。小学校1年生と中学校1年生の時は、新しい街で誰も知らないのに新入生という条件は一緒ですから、「あいつどこの小学校?」と言われても知りませんし、そこそこ苦労したような気はします。特に中学のときはいろいろ混乱して大変でしたが、その辺はあまり書きません。

転校は確かに子供にとってなかなかの負担かもしれませんが、そのおかげで得たことの方が大きいと自分は感じます。なんとなく箇条書きしてみるとこんな感じでしょうか?

・街や集団が変われば常識も価値観も違うから、普遍的なものは案外少ない

・人と関わるスキルが常に本番で磨かれる(仲良くなる/ならない方法など)

・集団の中に入らないとわからないことが見える(まさにフィールドワーク的である)

・期限付きの人間関係なので、上下関係とか面倒なものに煩わされても2〜3年と思って無視できる

・仲良くなるスキルを駆使して学校以外の居場所が結構できた(そうやって音楽家になれたことは大きい)

人が常識だと思うことの小ささ、狭い人間関係の構造が普遍的ではないこと、実際に起っているの貧困や社会問題を友達を通して垣間見る瞬間、差別のつまらなさ、自分で考えて結論づけて行動することの重要性、これらを無理やりにでも考えなきゃいけない環境の変化、などなど、どれも大人になると見えてきて苦労するであろうことを先取りしてやっていたってことでしょうか。次に行く街を決めることもできないし、お別れもまあ強制的ですし、できることと言えば努力することぐらいですから。

内部からその地域/社会/集団を見るということ、そして複数の社会を横断して中から見てきたことは、その後の人生でもかなり大きな影響があったことです。地方都市から親が出稼ぎに行く家庭とか、様々な家庭の事情(貧困層の社会問題につながるような話も多い)とかも実際にありましたし。今でも感じますが、何が標準的な世帯収入のモデルなのかも肌感覚と大きく乖離してるし、官公庁や政策担当が見えない世界の方が多いのでは無いかと言うくらいです。

これらの経験から、海外ではどうなのだろうかと興味を持って、ちょっと留学(遊学?)したりしたのですが、それはまた今度。


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