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「涙の跡を指でなぞり 悲しみに、もう一度ゆけと言う」

数年ほどメンタル系の症状(いちおう病名がある)を私は患っていて、先日通院したとき、こんなやりとりがあった。

先生「そうなってしまうのはあなたの生育歴か、何かしらの(症状の)とっかかりになる出来事があったんだと思います」
私「○○歳のときに受けたバワハラですね」
先生「(あぁといった表情で)もうずいぶん時間が経っていますよね」
私「はぁぁぁ…(無言)」


まだ、パワハラなんて言葉を知らなかった当時、仕事で大失敗をしてしまった私は「そうされて当然」だと思っていた。だから、我慢して仕事には行っていたし、明らかに精神的におかしかったのに、自分のことをほったらかしに、仕事優先で生きていた。でも、あの時に何かしらの処置をしていたら、今になって症状としてあらわれることはなかったと思う。ちなみに、その職場は何年も前に辞めている。

しかし元を辿れば、パワハラはひとつのきっかけでしかなくて、10代後半から20代頭にかけての人間関係の闇を未だに引きずっていることが大きい。恥ずかしながら、今も時々思い出しては辛くなる。あの孤独感や孤立感、友人に抱いていた劣等感が、逆に今、仕事になると人一倍気を遣い、頑張りすぎる自分を形成してしまったとしか考えられない。

いわゆる私はいじられキャラで、男女問わずよくからかわれてきた。場の雰囲気を壊すような気がして、すごく嫌だったのに、気づいて無いフリやとぼけたフリして、反論してこなかかった。たまに悔しくて何か言おうとしたけれど阻止されるか、上乗せするようにからかわれるか。だから、社会人になり、仕事を始めてからは「私はダメ人間なんだから、ちゃんと人として認められなければ」と一所懸命働いた。もちろん仕事では認められたが、どうも一生懸命がいきすぎてしまうようになってしまった。

「また仕事で大きな失敗をしたら人生終わってしまうんじゃないか?」とすら思い詰めてしまうときが稀にある。実際、やらかしてしまっても、人生が終わることなんて起きてないのに。逆に助けてくれる人がいるというのに。

そんな私だけど、音楽には気楽が出来ない私を理解してもらえていると思っている。

中学時代に吹奏楽部に入部して以来、私は音楽に夢中になった。高校に入学してからは一気にロックバンドにのめり込んだ。聴くジャンルは大きく変わったけれど、音楽に関わることをしている自分が好きなことだけは今も変わらない。音楽への気持ちや愛情だけは自信がある。それは別に推しバンドのライブにたくさん行くことではない。音楽は、私にとって数や評価で判断するようなものではないのだ。

不幸自慢をしたいわけではない。ただ、私には音楽という無我夢中になれるものがあって、自分を肯定できるものがあるだけでも幸運なんだと人一倍強く思う必要がある。そして前を向行け行かねばならない。何より、仕事が人生の全てではないし、仕事ができてもできなくても私を好いてくれる人はいる。それに、彼や彼女たちは私をからかうこともない。

あの頃の自分を思い出してしまうときが、いつかまたくると思う。でも「あの頃があったから、今があるんだよ」と何度も何度も自分に言い聞かせて、今を生きて行けば、きっと私は「大丈夫」になれると信じている。


涙の跡を指でなぞり
悲しみに、もう一度ゆけと言う

声にならない思いを、今
抱きしめて歩き出す私たちは
不確かに見える日々の隙間で
いつだって笑いあえる

「深呼吸」羊文学 より


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