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光も闇も包みたい、そう思った。





光も闇も包みたい、そう思った。
光が怖いならあなたの影になろう。
闇が怖いならあなたの光になろう。
『だから、大丈夫。』

言えるようになるからね。





※無料記事です






誰かに認められることを望んではまた失って、求める。どこにもゴールはないのだと知ったけど、それでも探している自分がいる。
ネットの書き込みを漁って疲れるのは『読む』ことでその書き手の感情が入り込むからで、何気なく見ているつもりでも心が使われて、無意識にでも疲れが出るのだと思う。だからたった数文字でも、点の使い方でも、改行の仕方でも、伝え方でその書き手の人物像が浮かんでくる。言葉は全て言霊だ。そしてそこに声が合わさると言霊の力がぐわっと広がって強くなる。
それが唄だと思っている。その唄を唄う人はその言霊に乗っ取られることなく、対等にもしくはそれ以上に飲み込んで吐き出せないといけない。そしてまた新しい言霊となる。とても繊細で刹那を生きている生き物だ。
どれだけその言葉に影響があるのかなんて考えながら発している人なんてほとんどいないと思う。
何も考えず思ったことを口にして知らないどこかで傷つけられている人がいる、でも幸せになる人もきっといるだろう。
『じゃあ見なきゃいい』
これはすぐに出来たとしても、その言葉というのは傷跡となってずっとその人の心に残る。何故か幸せなことよりも嫌なことの方がずっと残るんだよね。
それがあったからこそ広がっていく世界はもちろんあると思うけど『なんだか疲れたな』って思うのは、それだけ人の気に触れるということだから当然なのかもしれない。見たくない情報は自分で捨てなければならない、もしくは入ってこないようにしなければならない。これって結構大変で面倒なことだと思う。
中々物を捨てれない人が全て必要なものですと言うように、捨てた!と思って捨て切れるものじゃない、心に蟠りを置いていって、結局そこには何もなくても"捨てきれない"のだ。
『匿名性』という蜜は貪りすぎると本当に危険だと思う。
私たちはこの"刺激"に慣れないといけないのだろうか。"気にしすぎてる"私たちがもうちょっとタフになれればいいのだろうか。ほんの少しでも優しい伝え方はなかったのだろうか。いつもこうやって自問自答をする。
自分が居心地の悪いところからは自分から去る。人の粗探しをする人はきっと何かで傷ついた人で、人に当たることでそんなんじゃ満たされないことを知っているのに自分の欲求を満たそうとしている。だからそんな人を見ると悲しくなってしまう。それがその人の唯一の吐き出せる場所だったのだとしても誰かの居場所に土足で踏み込んではいけない。少しでも自分の世界を守るにはちょっとの勇気が必要だ。戦うのは自分とだけでいい。そんな人が少しでも増えますように。

今日から7月。

がんばるぞ。









Coco





世界でたった一人の自分で在り続けること 頂いたサポートは創作活動への励みにさせて頂きます。見て下さりありがとうございます。