鈴がなく

私は祖父に花をあげたことがない。
仏壇の鈴を手癖で鳴らして黙祷する。いつだか、鈴は邪念をはらうためと聞いた気もしないでもない。けれど見慣れた祖父母の家で、この音が響き渡るのが好きだった。目を瞑る。両手を合わせて、それらしく俯いてみせる。
心の内は届かない。この鈴を鳴らしているのが私なんだと伝える術もきっと無い。
鈴は祓えたどころか雑念を次々と呼んだ。思考は途切れることがなく、目を開ける。顔を上げれば、祖父の笑った顔がそこに在った。
気難しく、口下手で、表情もあまり変わらない。典型的な昭和の人間で、救いだったのは祖父にはあまり威圧感が無かったこと、祖父は孫全員を好いていたことだった。
私は、そんな祖父がお酒を呑んでいる時が好きだった。真っ赤になって、少しだけ気難しい顔が緩むのだ。五、六人は座れそうな大きなコタツ机に並んだおかずを「おい、それとってくれ」と言われるのが嫌いじゃなかった。
食卓という同じテーブルについている時は、祖父と自分が対等なように思えたのかもしれない。
祖父の遺影には、亡くなった当時から数年前のものが使われた。『一番よく笑っている』という理由で、満場一致で決まったのだ。
私の、成人式の前撮りの写真だった。
かねてより祖父と祖母には、言い尽くせないぐらいの恩があった。こんなビッグイベント、気にしていないはずが無い。前撮りを撮らないかと祖母伝いに誘った。祖母曰く『二つ返事だった』と。
祖父はこの頃には既に足が悪かったが、そのことは一言も口にせずにお店に来て、『……よく似合ってる』と言ってくれた。口下手な祖父が精一杯褒めてくれた言葉に、照れ隠しで『着物と化粧が良いからだよ』と言ったのを覚えている。ヘアメイクをしてくれたお店の人が恐縮していた。
祖母は『いつもと違って、ちゃんとした服で来なきゃと思って。おばあちゃん頑張っちゃった』と笑っていた。祖母が頑張ったのは勿論、自身の分と祖父の二人分の話なんだろう。確かにいつもはラフな二人が、襟付きの服を着てるのは珍しいかもしれないと思ったのを覚えている。
そうして家族三世代揃った写真は、それなりに良い記念になった。そういうこともあったね、と思い出で終わるはずだった。
けれども祖父の遺影に選ばれたことで、思い出は消化されず、永遠に祖父の死という象徴となった。
遺影に選ばれたことを恨みたい訳じゃない。だけどあれが最後の孝行になるなんて、知らなかったんだ。
祖父の好きな花を、祖父が死んだ後になんて知りたくなかった。祖父の笑った顔が『幸せそう』だなんて、祖父が二度と目覚めない世界で知りたくなかった。
私、この次はぜったいって思いながら、お花屋さんの前を通っていたのに。
見上げた遺影が歪む。あんなに病院で、祭壇の前で泣いたのに。涙はとめどなく溢れてくる。
震える手で、小さな棒を手に取る。一度、二度。鈴は涼やかに鳴いた。祖父の好きな綺麗な音で、二度、泣いた。

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