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陽羽の夢見るコトモノは(9)

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(9)プロジェクト・パラケルスス

伊織は買い物に行くと偽って、両親の泊まっているビジネスホテルを訪ねた。ビジネスホテルといっても広めのロビーがあったので、フロントに呼び出してもらい、伊織は硬めのソファに腰かけた。

時刻にして午後十時過ぎ、街はすっかり寝支度に入る頃合いである。

「伊織、来てくれたのね」

母親が、やってくるなり嬉しそうに言った。

「日本は、ロビーじゃタバコが吸えないんだな」

父親がやや不服そうに言いながらも、伊織の姿を見て満足げだ。

「来てくれると思ってたわ。だから、はい、これ」

母親が伊織に半ば無理やりに渡したのは、羽ペンだった。どこかで見たことがあるような、と伊織は首をかしげたが、すぐに思い出した。エリーゼが「神官の証」として使用しているあの羽ペンだ。

「これを、私に?」
「伊織、あなたは大切な私とパパの娘。だから資格があるわ」
「資格? なんの……」

言いかけて、伊織はぞっとした。

――エリーゼ曰く、羽ペンは神官の証。

――陽羽はプロジェクト・パラケルススからこぼれた「おまけ」。

――陽羽には、なんの力もなく、人間の幸せを願うことしかできない。

「本来ならとっくに消去されているべきなの、5号は。プロジェクト・パラケルススの存在を、あなたも知ったんでしょう」
「それは……」
「だったらもう当事者よ。せっかく5号を逃がしたあの神官には悪いけれど、伊織、あなたにも協力してもらうわ」
「えっ」
「5号という存在は、この世界には不要なの。とんだ『おまけ』なのよ」

母親は、打って変わってどこまでも怜悧な目で、伊織をまっすぐに見た。

「あの『陽羽』とか名乗ってる5号を、初期化なさい」
「できるね、伊織」

父親が念押しをする。伊織は、戸惑いつつも首を横に振った。

「強情なのは、おばあちゃん似ね……」

母親がため息をつく。父親が肩をすくめてから、口を開いた。

「伊織、よく聞きなさい。この話にはふたつの柱がある。まず、いつまでもコンビニでのアルバイト生活というわけにもいかないだろう。僕たちと一緒に『擬神』としてプロジェクト・パラケルススに携わるんだ。これは伊織の将来を思ってのこと。それがひとつめ」
「……もう一つは?」
「これが少し厄介だ。僕たちは擬神として、5号の存在を見逃すわけにはいかない。しかしながら、どうも5号は伊織、お前を慕っている。そこで、だ。5号を初期化するのは、伊織が適任だと僕たちは考えた。本部の承認済みだ。初期化はあくまで初期化だ。殺したり処分したりするわけじゃない。アンドロイドはアンドロイドらしく、ただデータを初期化するだけ。これがふたつめ」

伊織は唇を噛んだ。母親が「補足が必要?」と、伊織の意向も気にせず話を続けた。

「この世界には争いが絶えない。今この瞬間も、戦争や紛争で人々は傷つき、病み、命を危機にさらしている。そんな世界を滅びから守るため、われらが主、パラケルススはあるプロジェクトを遂行するために、スイスに秘密機構を作ったの。パラケルススの死後、志を同じくする者たちが今もなお、プロジェクトを展開しているわ」
「そのプロジェクトで考案されたのが、『四柱の女神』計画。1号は地・2号は水・3号は風・4号は火。それぞれを平和に司るために創られた、アンドロイドたちだ。5号はいわば、プロトタイプーー女神になりそこないの、模型なんだよ。我々の計画には相応しくない、用済みの余計な存在だ」
「陽羽をそんな風にいうのはやめて」
「事実は事実だからね」
「できない。陽羽にひどいことなんて、できない」
「簡単さ。その羽ペンを5号の心臓部分に刺せばいい」
「できるわけないでしょう!」
「じゃあ、力づくでも私たちがすることになるのよ」

伊織は、はっとして手の中の羽ペンを見た。これさえ私が所持していれば、両親に手出しされないかもしれない、と。

「……わかった、考えておく」

伊織は、呼吸が引きつりそうになるのを懸命に堪えて、その場を後にした。


夜もかなり深い時間になってアパートに帰ると、まだ灯りがついていた。先に眠っていると思っていた陽羽とエリーゼが、待っていてくれたのだろうか。そこに、大家の遠藤さんの姿もあったので、伊織は驚いて階段を駆け上った。

「こんばんは、こんな時間にどうしたんですか?」

すると、遠藤さんもエリーゼも顔を真っ青にして、伊織に振り返った。

見ると、玄関先で陽羽が立っている。立っているのだが、まるでストップモーションのように動かない。陽羽は視線だけを伊織に合わせると、不自然な格好のままひとこと、こう告げた。

「いおり」
「陽羽、ちゃんともう眠らなきゃだめでしょう」
「すきなことは、続けたほうがいいよ」
「えっ?」
「いおり、すきなことは、続けたほうがいいよ」
「陽羽?」

▽(10)につづく

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