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【ふたり】きみのとなりで虹を見たい( #ひかむろ賞愛の漣 応募作品)

私たちはたぶん、どこにでもいそうなふたりだ。しいて特筆するとすれば、彼が怖いくらい底なしに優しいということと、私が自分でも情けないくらいにわかりやすい性格ということだろうか。あとは、お互いに統合失調症という病を得ており、そいつとどうにか折り合いをつけながら暮らしていることも、書いてもいいかなとは思う。それでも私たちは、笑いあい抱きあい時にはけんかもする、休日には新宿や吉祥寺あたりを気ままに散策する、平凡なふたりであることに違いはない。 

1.「どうしても優しくなれずごめんね」の言葉がすでにきみの優しさ

彼は私がくしゃみをするとボックスティッシュを差し出し、額に汗を浮かべればハンカチをあて、ご飯を残せばどこか悪いのかと本気になって心配をする。自分のご飯の手を止めてでも「どこかよくないの?」と真剣にきいてくれる。そういうとき、私はいたずらっぽく笑ってこう答えてみせるのだ。

「頭が悪いみたいなんだ」

彼は肯定も否定もしない。ただ「そうなんだね」と受け止めてくる。いや、そこは少しでいいから否定してくれよ、と私が笑うと、彼は申し訳なさそうにうなだれるのだが、病気の影響で以前に増して馬鹿になったんだよ、と私がこぼすと、彼は途端に悲しそうな表情を浮かべた。

「『馬鹿』と『頭が悪い』は全然違うよ」

私は「そっか」と呟いて茶碗に残ってた米粒を箸で集めて口に運んだ。彼はしばらくうつむいていたが、時計の秒針が半周したころにふと顔をあげた。
「ごめんね」
「え、なにが?」
唐突に彼が謝ってきたので、私は驚いて目をぱちくりさせた。
「優しくなれなくて」
私はむっとして真顔で彼の鼻先を見つめる。彼の鼻が私の視線に負けて、わずかにひくついた。それがもうおかしかったので、私はけらけらと笑い出した。するとつられて、彼も「くふっ」と不器用に笑ってくれた。

これでいいんだと思う。いや、私たちにとってはこれがいいんだと思う。一緒の食卓で笑いあえる瞬間があればそれが、ふたりがふたりでいる理由だから。

2.空回りし続けるぼくの骨がもしきみと噛み合ったならそれは夢

どこで出逢ったんですか? といろいろな人からきかれる。私は初めて彼に会った日のことを鮮明に覚えているけれど、彼は私との初対面の日のことを全然覚えていないらしい。

彼があまり他人に関心がないということを差し引いても、それは当然なことかもしれなかった。なぜなら、私たちが初めて会ったとき、彼は研修の講師で私は受講生という立場だった。仕事としての関わりだったのだから、彼のほうがその点でわきまえていたといえるだろう。

けれど、それ以上に彼の他人に対する無関心の根は深く、さらにその最奥に焼けるような悲しみと孤独が巣食っているのを私が知ったのは、ずいぶん後になってからのことだ。

「どこで出逢ったんですか?」

私の友人からのその問いに、彼は私にアイコンタクトでヘルプを求めてくる。私はそれを正確にキャッチする。「私がね、一目惚れして。それでクリスマスイブに私から想いを伝えたんだよ」と暴露ばなしをすると、ほとんどの人は「わー、そうなんだ!」と目を輝かせて私の恋愛におけるアグレッシブさに話題を移してくれる。彼の中に厳然と存在する他者への無関心や悲しみや孤独は、こうして幾度も余計な干渉や侵襲を免れてきた。

初めて会ったとき、彼は人に教える立場にありながら、気だるそうに椅子に腰掛けて脚を組んでいた。一緒に講座に参加していた別の受講生にその態度を咎められていたけれど、「この姿勢が僕にとっては落ち着くから」と突っぱねていた姿に強烈な冷たさを覚えたのを、私は昨日のことのように思い出す。

(だって、きっと夢なんだ。僕が誰かと、ましてや君と一緒にいることなんて、間違いなく夢なんだ。)

彼がそんなことを本気になって伝えてくるから、私はこう返すのだ。

「もしこれが夢なら、春が来なければいいんだね」
「ずっと冬眠するってこと?」
「うん」
「それはそれで嫌だな」
「そう? きみがカエルになる魔法をかけてあげるよ。私はクマ」

彼が声をあげて笑う。私のせいいっぱいの思いやりを、気遣いを、心配を、さも滑稽だといわんばかりに笑い飛ばす。「夢じゃないのに、ツキノワかよ」「進化したら助詞が脱落するんだね」などと滅裂な文脈を連発して、楽しそうに歌うように柔らかく壊れていく。
もうずっと一緒にいるのに、私はいまだにきみの笑いのツボがわからない。

きみは帰宅してスーツから部屋着に着替えるサラリーマンのように、この家に帰ってくるとすぐにまやかしの正気をその辺に脱ぎ捨ててしまう。それが実は、私はとても嬉しかったりする。

まるで昨日の出来事のようにあの冷たさを思い出したとしても、今日のきみのあたたかさをしっかり感じているから、私はなんにも怖くないんだ。

3.梅のあと風のあと大雨のあと涙のあとが虹になってく

2月生まれということもあり、私は幼いころから梅の花が好きだった。いち早く春を告げる梅の、寒風に耐えて凛と咲く姿に嫉妬したことさえある。きっとその時分、ままならない自分と梅の花とを比べて、独り善がりなものさしに苦しんでいたんだろうと思う。

私は若い時間のほどんとを、「長く厳しい冬に呼吸を潜めるしかないようなしがない自分にも、どうか可憐に梅の花咲く穏やかな春が訪れてくれますように」という切望と、「このままじゃいけない。でも、どうしたらいいかわからないし、自分がどうしたいかもわからない」という焦燥に囚われて過ごした。

だがこれら切望と焦燥は少しずつ、静かにほころんでいった。固く結んだ蕾があらゆる抑圧に抗して悪意を払い花びらをみせてゆく力強さにひどく憧れ、弱い自分を責め続けるだけの日々が変わりはじめるきっかけとなった張本人がいま、となりを歩いている。

だんだんと長くなってゆく早春の陽に遊ぶ梅の花の下を散歩した日のことだ。決してこの梅木立のように華やかではないけれど、それらに負けないくらいの色彩を携えた笑顔を取り戻した私は、風に合わせて歩を進めていた。

こんなに冷えるのに、彼は手袋を好まないのでダウンコートのポケットに両手を突っ込んでしまう。だからなかなか手を繋ぐことができない。それでも、いつも芽吹きを教えてくれるこの季節が、私は大好きだ。

何があったとか、どんな目に遭ったとか、ひどい傷痕たちが今でも疼くとか、掘り起こしたらそういう類のことはいくらでも出てくる。でもそれは特別ではなく、きっと誰だってそうなのだ。

ただ、聞こえてはならない声に苛まれる日に、肉体が神さまの操り人形となって望まない痛みを自らに課す夜に、それでも変わらずに彼がそばにいてくれることに、私はいったいこれまでどんなに救われてきただろうか。

そう考えたら、私は「ありがとう」をもっとちゃんと彼に伝えたい。

そういえば、私は彼の涙を見たことがない。もしかしたら私に隠れてそっと泣いていることもあるかもしれないけれど、もしかしたら彼は涙を忘れてしまったのではないか。そんな不安を私は密かにいだいている。それは、一緒に過ごす時間が重なっていくほどに、寂しい確信として私の胸に収められようとしていた。

「見て、あれ」

新宿御苑に咲き誇る梅の花々をスマートフォンで撮るのに夢中だった私に声をかけた彼は、遠い青空を見ていた。私も顔をあげると、そこには高層ビル群とタイムズスクエアの間を縫うようにして、くっきりと虹が架かっていた。

「おっ、きれい!」

虹のはじまりとおわりをすべりだいみたいに行きかえたら、どんなに楽しいだろう。きみと人類初の虹旅行がしたい、なんて。

私がそんなことを考えていると、彼が「セキ・トウ・オウ・リョク・セイ・ラン・シ」とつぶやいた。

「え?」
「僕はシ、がいいな」
「なにが?」

私の問いかけに答える代わりに、彼はダウンコードのポケットから、それに収まるほどの小さな、薄紫色のリボンのかけられた白い箱を取り出し、私に開けるよう促した。

「え、なに?」

私が戸惑いつつ中身をのぞくと、ティアドロップをかたどったアメジストのピアスが顔を出した。

「え、えっ」

頭がくらくらする。こういうことを平然とするから、きみは本当にずるい。私にこれ以上どうやって、きみを好きになれというんだろう。

きみは私の真っ赤な顔なんてどこ吹く風で、悠然と空に浮かぶ虹を指さしていた。

「あの虹は、君と同じ日になるのかな」

手のなかの二粒のアメジストと目が合う。すると彼女たちは「lulu-la, lala-lu」と歌ってくれた。たまらなくなって私が箱ごとアメジストを抱きしめると、きみは今度こそ私の目をまっすぐに見て、口角を少しだけ上げた。

「誕生日、おめでとう」

梅ごちが虹のはじまる場所に散った梅の花びらを連れて行くのを、ふたり一緒に見送った日、私はまたひとつ歳をとった。これからもずっと、なんどでも、いつまでも私は、きみのとなりで虹を見たい。

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