相談援助のプロセス-文通での経験を通して
2023年4月、日本福祉大学福祉経営学部(通信教育)に学びの扉を叩いた。日々の学びの中で感じたこと、考えたことを日記エッセイとして書き出しまとめている。
少し自己開示をすると、私は心の病のサバイバーだった。いまの私は文章を書くことが好きで文通を始めて今年で5年目になるが、文通で文友さんへの手紙を書いていると、自分が実はとてもおしゃべりなことに気づかされ驚くことがたびたびあった。私には、言葉が喉元で引っかかり口から出てこない失語的な症状、あるいは対面で話をするときに手が震えてしまう悩みが長くあった。それが原因で人前では無口な自分だった。だから、手紙を書くなかで実はおしゃべりな自分に気づき、びっくりしている日々だった。
その文通を始め、続ける理由と、その文通における失敗と、そこからの反省と、現在大学の課程でソーシャルワークについて学び始める中での気づきをまとめたい。
文通を始めたのは2018年の12月だった。インターネット上で文通サークルを見つけさっそく入会し、初めて見知らぬ人へ手紙を書いた。それ以来、手紙を書く行為について考えている。
手紙は、時間にゆとりがないと書けない。時間とは自由になる時間のことで、文通は「のんびりした自由時間のお裾分け」の交換であると感じた。「のんびりした自由時間」。私は文通を始めたその頃、心の病が原因で悶々とした冬の嵐の半生を送った末に、春の芽吹き前ののんびりした時期を過ごしていた。障害を受け入れ、障害等級の認定を受けることで「のんびりした自由時間」を獲得することができた。その幸福を思ったとき、私は文通を続けて「のんびりのお裾分け」をしていこう、それを自分の生きがいにしていこうと思ったのだった。
それ以来、たくさんの人との手紙のやり取りが、私の生活の一部になっていった。けれど、悩ましい手紙のやり取りもその中にはあった。私のところへはなぜか、人生相談的な悩みの手紙が来ることが多かった。私は、その手紙に真摯に一生懸命向き合い、相手の身になって、一緒に考えることをしていく姿勢を実践しようとした。けれど、正直なところどうすれば良いのかがわからなくて、失敗もあった。
失敗とは、燃え尽きである。一生懸命返信の手紙を書くのだが、力を入れすぎて疲れて次第に手紙が書けなくな理、果ては、言葉選びに失敗して、悩みを抱える文友さんを突き放してしまうこともあった。正直言って、ダメダメな自分がそこにはあった。下手くそな自分に失望する日々だった。
それが、人生の春が芽吹いて、福祉大学の門を叩き、ソーシャルワークを学び始めて目からウロコの気づきの連続が待っていた。
相談支援、すなわちソーシャルワークにはプロセスが存在することをまず知った。困っている人、悩んでいる人の、その困りごとや悩みごとに猪突猛進で解決しようと突っ走るのではなく、じっくりじっくり味噌を熟成させるように時間をかけて関わり、じわじわとまずはその人の周囲を知り、信頼関係を築いていく。
それは、その人の困っていること自体を敢えて頭の片隅に追いやって、それでもその人は生きている、悩んでいてもなんとか生きているその人のささやかな楽しみを知ること、それを引き出すこと。そうして心の壁を取り去ってもらって、話してもいい、わかってくれる、安心だ、話すのが楽しい、と思ってもらうことがまず取り組むことの第一だと感じたのだった。
深刻な困りごと解決には、さまざまな情報が必要だ。それを知るためのプロセスが必要なんだと気づいた。
そうか、私は相手の困りごとや悩みごとに猪突猛進だったなぁと振り返る。いきなりメイン、中核に突っ走っていたのだなぁと。それは無茶だし、相手にも迷惑だし、自分がそれをされたら嫌だなぁ、と考えた。
きっと誰も文通でソーシャルワークしてほしいなんて期待していないと思う。そんなのは無理だ。でも正直なところ、手紙で相談ごとをされること、悩みを打ち明けられることに少し苦手意識を持ち始めていた。文通ライフが途絶える危機もあった。
けれど、最近、大学の課程で相談支援のプロセスの存在を知って、「ああ、大丈夫かもしれない」と思えた。どうしたら良いのかわからず、持て余していた課題に対して、「ああ、こうしたらいいのかな」というイメージが描けた。大学での学びは日常の趣味にも役に立ちそうだ。
大学へ入学して1週間。これが、最初の収穫だった。
今日の文通からさっそく実践しよう。
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