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生きること、表現すること

 大阪・釜ヶ崎、ココルームでときどきスタッフとして働くようになって4年。「日々人生劇場、お芝居のような」ココルーム、半年通ってみてもいったいなんと捉えようかわからずにいた2017年頃、代表・詩人の上田假奈代さんと文通をしていました。(いまでもココルームへ行くといつもびっくりがいっぱい!自分のまなざしやふるまいのうろこがぼろぼろと落ちていくような感覚をもちます。)

 書いてたのはもちろん、コロナの前。いまとはずいぶん違って感じるところも多いのですが、共生のジャーナルに投稿したもの( https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/68226/?lang=0&mode=0&opkey=R163301077984372&idx=1&codeno= )を貼り付けてみます。かなよさんのことばは、いま読みかえしてもあたらしい意味をもって聞こえます。(ときどきスタッフ なぎ~)
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『生きること、表現すること  ーNPO 法人こえとことばとこころの部屋ココルームー』


                                                                                                     松本 渚


1. たまたま、釜ヶ崎とであう  

 「釜ヶ崎」と呼ばれる町が、大阪市西成区の一部地域、あいりん地域*1とも呼 ばれる一帯にある。かねてよりドヤ街*2として、日雇い労働者が多く暮らして きた町である。日雇い労働は住所不定で働くことができる。そのために、路上生活者(ホームレス)が多い。かつての日雇い労働者は、現在高齢者となり、釜ヶ 崎を終の棲家として、生活保護を受給したり、高齢者特別清掃事業*3において週に1回程度就労したりして生活を営む人も少なくない。

  NPO法人「こえとことばとこころの部屋ココルーム」(以下、ココルーム)は、 代表で詩人の上田假奈代が、「表現とであいの場をつくろう」と、2003年に大阪の新世界で「喫茶店のふり」*4 をしたことからはじまる。隣町は釜ヶ崎で、路 上生活者の姿はよく見え、喫茶店には、釜ヶ崎で活動する人も多く出入りした。 2008年に釜ヶ崎へと場所を移し、動物園前商店街で「インフォショップ・カフェ ココルーム」としてリニューアルオープン、2016年4月には、二度目の移転に伴い西成区太子町に「ゲストハウスとカフェと庭ココルーム」を開き、毎日さまざまな人がであい、関わりあう場所となっている。  

 筆者は、2016年10月~ 2017年3月にかけて未来共生プログラムの公共サー ビス・ラーニングとしてココルームに受け入れてもらった。ココルームは、地域住民である、釜ヶ崎に暮らす日雇い労働者や生活保護を受給する人など社会的支援を必要とする人が集う場であるが、しかしそうした人たちを支援する団 体ではない。ココルームを訪れる人とスタッフとの間に、支援し、支援される 関係を作りたくない。上田はそんな姿勢を貫く。また、釜ヶ崎に活動の拠点を 置いたことを「偶然のであい」だとも話す。 

 日本社会は経済発展の過程で、日雇い労働という形態の労働を必要としてき た。ビルを建てたり、橋をつくったり、鉄道をつくったり、釜ヶ崎の人たちも 日雇い労働においてその力を注いできた。そうした人たちが筆者のであう人た ちだった。こうした状況や視点をからだで感じた筆者は、公共サービス・ラー ニングのまとめとして、釜ヶ崎という土地がもつ歴史との連累*5 がココルーム に感じられると報告書に書いた。  

 しかし、そこで十分にココルームを描けたわけではなく、ココルームとは何 なのだろうかと捉えきれぬまま、週に1回、その後も通いつづけていた。ココルー ムで日々起こる具体的なできごとには、見え隠れする多様な困難がある。日々 の具体的な実践や活動を支える上田の考えを知りたくて、「手紙」をお願いしたりもした。  

 ココルームの「表現とであいの場」とは、誰かと関わったときに自分や相手のことを考える、その現場はなにか特別なときにだけあるのではなく、日常の中で重ねていくものとしてある。本稿ではココルームで、日々、だれかと共に生きるということを、上田の語りや交わした手紙を中心に見てゆく。


2. ココルームの日常 

2.1 人と人との間で生きるときにあるもの  

 ココルームの場を開くために、毎日、調理スタッフゆかわさんは、朝早く5時ごろ朝食の仕込みに訪れる。スタッフの3人(おくやまさん・さっちゃん・わたるくん)は7時半ごろ訪れ、朝起きてきたゲストのために心地よい空間をつくる。9時になると訪れる清掃スタッフかんださんと一緒に、宿泊部屋や浴室の清掃を始める。ゲストのチェックアウト業務も行う。娘さんを学校へと送り出した上田もココルームへ来て業務を始め、12時にはスタッフとゲストみんなでまかないごはんを食べる。15時からは当日のゲストのチェックインがはじまり、18時にもスタッフとゲストみんなでまかないごはんを食べる。ゲストの到着が遅いときには、日を跨いで待つこともある。  

 こうした日々のゲストハウスとカフェの運営はココルームの活動の柱である。 しかしココルームの真骨頂を感じさせるのは、表現の場を多彩に手掛けていることである。 

 例えば、釜ヶ崎芸術大学(以下、釜芸)は「学びあいたい人がいれば、そこが 大学」ということばを合言葉に、ココルームや市民館などを会場とし、町を大学に見立てて、ワークショップ形式の講義を行なう「大学」である。釜ヶ崎の人 たちのやることがなく、話すこともなく、朝からお酒を飲むしかない、という声を耳にしたココルームのスタッフが考案し、2012年に開講した。講座は、俳句、 ことばときぼう、天文学、合唱部、おかゆのしあわせ、まちあるき、狂言、ジャ ワ釜舞踊、オーケストラ、地理の授業、サウンドスケープ等、幅広い。また、 西成区の取り組みで、単身高齢生活保護受給者の社会的つながりづくりの事業 を実施するひと花センター(以下、ひと花)と協働して、表現講座を開いている。 月初めには「散歩の会」でガイドの方と一緒に未知の大阪を歩く。「美術の時間」 や「詩の時間」、「書のワークショップ」がある。「ほっこり体操」に「じゆうな音楽」、みんなで円になって対話するのは、「今日の出逢いを体験する」と哲学対話の「あっこちゃんの会」である。釜芸の講座やひと花の表現講座には、主にこの町で暮らすおじさんたち*6 が参加する。みな単身世帯で、数人のチームを組 んで日々問題を抱えていないか、孤独死していないかなど確認しあいながら生活をしている。

 福祉の現場での活動や支援という関わり方が近く思えるこの町で、ココルー ムはアートや表現を行うという意味で特殊なNPOである。現代美術の国際展覧会である、ヨコハマトリエンナーレにも出展したココルームは、アートNPOとして知られる。しかし上田は、ふだんアートや表現ということばを使いながらも、活動は「人間の生き方」そのものであり、「人と関わり生きていける」 そのことだという。 表現というか、人間の生き方のこと。人って一人で生きられなくて、いろんな人と関わり、生きていける。育っていく。それをただやっているだけで、 それを一応アート、表現と言っているだけ。*7  この上田のことばに従い本稿では、人と人との間で生きるときにあるものを ひろく表現とする。表現には日々のやりとりも含む。アートは表現が形になっ たものであるが、表現は形になっていなくともよい。


2.2 表現の循環  

 表現講座や、釜芸の講座では、上田ら講師がずっと講義するのではなく、参 加者との、また参加者同士の掛け合いがある。たとえば、合作俳句では、五・ 七・五の音をひとり一音だけ書き、ランダムに3人でつくる。一人目が、好き な五音を書き、二人目はそれと関係しないような七を書き、最後はまた別の人が、五でしめる。そうしてかけ合わさって以下のような作品となる。完成したものは、 

「かるくまう いろんな人の くるうぶし」 
「毛糸のような ぼそぼそあるく ダンゴ虫」 
「コツコツと 打ちつけた釘 折れまくり」 
「にちようび 風が流れる にしなり区」 
「まるぼうず 呑めば楽しい アロハオエ!」

どれも決してひとりでは作ることはできない、奇想天外で味わい深い作品ばか りではないだろうか。

  詩の講座では、参加者同士がペアになり、双方にインタビューをして、彼や彼女のことを詩にする。 話し手が表現し、それを聞いた側が、詩に書いて 表現し返す。その人の詩を書くために、いろいろ聞く。聞く側が、話し手の言うことを、表現する。

  釜ヶ崎の人がなにかを言い、それをこう返してみたら、相手がこう返してきた、というようにど んどん入れ替わっていく。 それは「ほんとうに面白 い」と上田は言う。

 やっぱり釜ヶ崎に来ている人というのは、いろんな人、どちらかというと メインストリームから外れた周縁の人たちが多い。ココルームへは、そう いう経験がある人やそういう状況にある人びとが多く出入りするから、自 然と周縁にある人たちをよく見る。すると自分のそういう部分もいっぱい 気づく。 

 表現する側とされる側が循環する。それは表現の場だけではなくて、釜ヶ崎 の人と関わっていると、彼らの抱える困難さが自分自身の中にもあることに気づかされることがあった。そのとき、「釜ヶ崎的な状況」やその困難さは、釜ヶ崎に来る*8 人に特有なものではなく、誰にでもあることに気づく。たとえば、 孤独を感じることや、誤解が生じるなど人間関係の悩みもある。人と関わるということは、自分と向きあうことでもある。それは自分と相手、どちらか一方が持つものではなく、関わり合うときには双方の間を入れ替わる。投げかける、呼びかける、応える、応答する。そのときには、未知で未確定のものが変化していく様がある。表現する側とされる側が循環する。表現やアート、そして福祉が分かち難くある場所がココルームである。 


3.勇気のかけらとあたらしいことば 

3.1 手紙から 

 2人の常連のおじさんがココルームで殴りあいのケンカをしたことがある。 釜ヶ崎の人たちと過ごす場所をつくるときには様々な難しさに直面する。その ことに筆者はどのように関わることができるだろうかと悩んだ。毎週そのとき その場でのであいや表現を行うのみで、継続する問題や町の状況に対して関わる姿勢を持てずにいた。釜ヶ崎で表現活動をつづけるとはどういうことか。筆者はココルームに関わる姿勢を知りたくて、上田に手紙を書いた。上田は、どのように対応し、どのような姿勢でいるのかを知りたいという気持ちからだ。 上田からは次のような返事がきた。長くなるが、全文掲載する。  

こんにちは  

 京橋のツイン21のカフェでこの手紙を書いています。

 手書きのほうがよいのはわかっているのですが、なぎさちゃんにお返事を書 く今回は、なんども言葉を選びなおしたくなりそうだと思い、パソコンで書く ことにしました。 

 なぎさちゃんの手紙には、ひとの、まちの、とめどなく変化しつづける流れのなかで、じぶんはどのように見て、どのように立ち、どのようにふるまえばいいのか、わからないままに、でも、目をあけていよう、立っていよう、という、 かすかな勇気のかけら、好奇心のざわめきをみます。

  そのかけらは、なんとはなしにしぼんでしまったり、よそに移ることもあるものだし、じぶんにとって、どれだけ切実なひっかかりなのか、それはじぶんでもなかなかわからないものだと思います。  

 さて、わたしに勇気があるか、というと、ないです。

 とりわけ、人のこころが、とめどなく変化しつづける流れに、ひとびとがど んなふるまいでいるのかをみているのが好きです。小心者なので、なるべく人に説明できるくらいの冷静さがほしくて、まずは情報収集につとめます。正しさには要注意と思っているので、すぐに判断はしませんが、案外直感は大事 だと思っています。

  流れそのものがいろいろな景色をみせてくれるうえ、人がそこに作為なり無意識なりに突拍子なく舵をきり、小説より奇なり、な景色を見るのはやっぱり おもしろいですね。わたしの場合は勇気より好奇心が強かったというところでしょう。あとは、小心者ゆえ神様がいちばん怖いのでしょう、正直であることをわたしは特徴として持っているようです。  

 さて、ここで、ココルームに戻ってきて、つづきを書いています。 

 夏の夕暮れの空気はなまぬるく湿気をふくみ、扇風機の風の音が昔からある ような気さえします。不機嫌でいることは、じぶんも、そしてまわりを幸せにしないことだと気づいたのはいつ頃だったでしょうか。けれど、また、じぶんのこころの奥をみつめないで、気にしないふりをして機嫌よくふるまうことは後か ら不幸をまねくと気づいたのはいつ頃だったでしょうか。そして、相反するこのふたつの感覚を瞬時にいれかえたり、ずらして眺めてみたりをするようになり、 ほんとのほんとはどうでもいいものなのか、どうなのか、をさぐる癖はいつ頃 にできたのでしょうか。しかし、さぐったところで、時間がたてば、それはまた 薄まっていくというなかば諦めのような気持ちを持ちながら、時間がたったところで澱のようにたまるから、やっぱりすくっておこう、なんとかことばに表そ うと試みるようになったのはいつ頃でしょうか。

 なにかを乗り越えるためには、あたらしいことばが必要でした。  

 可能性は、不可能と可能とどちらも含むから可能性なのだよね、と何度、 確認したことでしょう。

 さて、すこしの雨をくぐりぬけて、またあたらしい週がはじまり、今日、なぎさちゃんと会う日ですね。いったんプリントアウトして封をしましょう。 
 夏バテしないように、よく眠り、笑いましょう。                 
                      かなよ 2017・0703



 この返事を受け、筆者は次のような返信をした。

  上田の手紙に勇気ということばを見つけたこと。勇気のかけらは、筆者がは じめて釜ヶ崎へ行くときに持っていたものの名残だと気づいたこと。そのとき訪れたココルームでは、そのわずかな勇気や肩の力は必要なく、自然にいつもの自分でいられるようなところで、自分の弱いところもあっていいのだと感じられたこと。そして、釜ヶ崎のココルームにおいて、ことばが次々とつむがれていき、つむがれたものを通して、多くの人たちがであっていること。そこに適当な、よい距離感があるように感じられ、寄り添うということと、冷静に距離をとることのよい塩梅が感じられる、と書いた。


3.2 勇気とあたらしいことば  

 手紙にあらわれた、「勇気」という意外なことばと、乗り越えるために必要とされる「あたらしいことば」、これらが表現するものは何だろうか。まず、筆者の手紙が「勇気のかけら」と表現されたことに驚いた。筆者はココルームや釜ヶ崎の人とのつきあいができたために、ただ通っていただけである。ときどきシビアな場面にも遭遇するが、ココルームは訪れる人がほがらかにであいなおせる場所としてあるからこそ、なにか事件があったあともまた行って、まずは顔を合わせることを求めていた。それを「勇気のかけら」と言うのだろうか。上田はかつて筆者にこんなことを言ったことがある。

わたしは、勇気というのは、ここぞという一大事に発揮するものじゃない と思っているんです。何もないような、平々凡々とした毎日の日常の中 にこそある。なにかちいさなことに対して、すこし引っかかりをもったり、自分の心が動いたことを見つめたりする。たとえば、相手の言動やふるまいを、表面的に「そういう人だ」と判断して終わるのではなく、どうしてそのような行動になったのだろうかと、相手の時間を考えてみる。少し面倒くさいけれど、そういうもう一声とか、もう一歩とか、小さいのを日々重ねていくということが、ほんとうの勇気なんじゃないかと思っています。  


 勇気とは、一大事に発揮するものではなく、平々凡々とした日常の中で、相 手と自分を見つめるなかで日々重ねてくことだと上田は言う。「もう一声」「もう一歩」と「少し面倒くさい」ことを重ねることが勇気なのだ。
 「あたらしいことば」というのは何かを乗り越えるときに必要なもの、と上田は言う。 

 自分の人生の中で、自分が変われたのは、あるタイミングである人に会っ たり、何かを見たり、出来事があったりしたからだと言う。けれど、それ はきっと自分が次のある考えや新しい自分に切り替わっていこうとすると きに、ちょうど湯のみのお茶が一杯になるようなときに、たまたまそのこ とが来て、溢れて、気づき、新しくなる。タイミングでもあるけれど、そうなるために本人は、日々ずっと悩み考えてきたからだと思う。切り替わるときにある何かは、本人にとって大事な人やもの、ことになるのは確かで、わたしには、そこに、ことばっていうのは、いつも重要だった。
  それは本の中で見つけたり、誰かと喋っているときにあったり、講演会 で聞くことばだったり、まあいろいろだけど、そういうとき自分はもう渇望していて、だからそういうことばが入ってくるんでしょうね。これだ、というのに。  


 自分がしんどいときに、あたらしいことばを見つけることが必要になるとき がある。ことばで乗り越えることができるのは、釜ヶ崎の人たちにとっても同じであるかもしれず、また釜ヶ崎的な状況にある人も同様である。彼らや彼女らと共に、合作俳句を3人で一句詠んだり、2人で互いに詩をつくったりする。 ココルームの表現活動は、あたらしいことばを生み出すものであるといえるだろう。

  そうして勇気のかけらやあたらしいことばを見つけに行く先は、釜ヶ崎の人 だけでなく、ココルームだけではない。釜ヶ崎的なところへ、困難を抱える人のもとへと向かうとき、勇気をもってあたらしいことばを見つけにいくこと、 そしてそこで一緒にあたらしいことばを見つけることは、だれかと共に生きるときのひとつのあり方である。 


4.ココルームの広がり  

 釜ヶ崎の人たちは高齢化し、町は大きく変わっていく。ココルームは釜ヶ崎から何を学んだのか、その知見や経験を他で展開できるかということについて、 上田は以下のように言う。 

 表現することを遠ざけられたような人たち、環境や生育や貧困やそうした 状況にある人たちが、いろんな人と関わりながら、自分の中にある生きて くなにかみたいなものを見つめて、それを差し出す、それに応答する人たちがいるという場があったときに、その表現はとてもすばらしいものである。ほんとうに生きる勇気のあるものを差し出してくれていて、それはその人の勇気でもあるけれど、いろんな人たちを励ますものになっていくと思っている。つまり、これまで表現されていなかったものが表現され、そして人びとと分かち合われて、そしてその表現は人を励ますということになるということを釜ヶ崎に教えてもらったと思っている。釜ヶ崎以外でも表現から遠いところに置かれた人たちはいるから、そういう人たちのところで、表現の場をつくり、関わっていけるような仕組みをつくることに力を入れていく方向になるのではないか、と思っている。  


 ココルームはアートのNPOだと言われる。アートすなわち、表現の根底には、人は人と関わることで生きていくことがある。その活動は釜ヶ崎で生まれ、今後は釜ヶ崎に留まることなく、広がっていく。


注 
*1  1965年5月28日に生起した「第五次暴動」を契機に大阪市・大阪府・大阪府警から構成された 「愛隣対策第三者連絡協議会」が発足し、翌年1966年の6月15日、同協議会において従来「釜 ヶ崎」と呼ばれてきた地域を「愛隣地区」と改称することが正式に決定したのだ。この理由は、 ①「釜ヶ崎」という地名が実在しないこと、②一般に悪いイメージを、また同地区住民には差 別的な感じを与える、といった点から「愛隣」と改めることにしたようである。これ以降、役所や警察などの公的機関では「釜ヶ崎」という地区名は用いず、「愛隣地区」と統一して呼ぶこ とになった(白波瀬 2017: 29)。

*2 「ドヤ」とは「宿」の逆さことばであり、旅館業法に基づく簡易宿所が多く立ち並んでいること に起因する。戦後の高度成長期に、日雇いの仕事を斡旋する寄せ場に日雇い労働者が多く集まり、彼らが寝泊りする簡易宿所が寄せ場の周辺に多く開設されることで、ドヤ街が形成さ れた。 

*3 釜ヶ崎支援機構が、大阪市から委託され請け負う事業。大阪市内の施設や道路などの除草・ 清掃や、保育所の遊具のペンキ塗りなどの作業を行う。 

*4 大阪市から現代芸術の拠点形成を目指した新世界アーツパーク事業において、2002年に新世界にある巨大な都市型娯楽施設フェスティバルゲートの一室を運営しないかと声をかけられたことから、上田の活動ははじまる。市の事業で税金にて運営を行うとき、公共性を果たそうと、誰にでも開かれた場をつくることを考え、カフェを開く。表現を仕事にする一方で、 「喫茶店のふり」をすることがはじまった。以後15年間ココルームは「喫茶店のふり」を手放 さずにつづけている(上田 2016: 48-62)。

*5 スズキ(2002)は、現在も生き続ける過去の不正義を是正する「責任」がわたしたちには確実にあり、その生き続ける不正義と過去との関係を明瞭化するためには、「連累」という概念 が意味を成すことを示唆する。

*6 平成27年度国勢調査によると、釜ヶ崎地域の人口のうち8割以上が大半である。 

*7 以下、上田の語りは、2017年11月14日インタビューより。

*8 釜ヶ崎へ来る人は、釜ヶ崎へ「流れつく」と表現されることもある。 (敬称略)

参照文献 
上田假奈代  2016 『釜ヶ崎で表現の場をつくる喫茶店、ココルーム』株式会社フィルムアート社。 
白波瀬達也  2017 『貧困と地域―あいりん地区から見る高齢化と孤立死』中央公論新社。 
スズキ、テッサ・モーリス 2002 『批判的想像力のために―グローバル化時代の日本』平凡社。 
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おまけの写真とことば
【本文は、ここまでです。斎藤陽道さんのnoteの「おまけ」にならってみます。ここから下は、この最近のココルームの写真とことば13枚分を載せています。今日の写真は、スタッフ高橋亘が撮りました。ココルームは、今大ピンチに直面しています。カフェ業と宿泊業の売上が活動の基盤を支えていましたが、新型コロナウイルスの影響で95%の減収です。今日と未来のために新しいであい方をさがしたい、仕事や住まいを失うなど、困った方と力をあわせたい、生きのびる知恵と技をこの街から発信したい。であいと表現の場を開きつづけていくために、みなさんの応援をさまざまなかたちでお願いしています。コロナで寄付を求める声の多いなかに申し訳のない気持ちも大きいのですが、ココルームをこれからも毎日開いていくために、応援いただけませんでしょうか。よろしくお願いします。いつもありがとうございます。】

おやすみなさい。

現在、ココルームはピンチに直面しています。ゲストハウスとカフェのふりをして、であいと表現の場を開いてきましたが、活動の経営基盤の宿泊業はほぼキャンセル。カフェのお客さんもぐんと減って95%の減収です。こえとことばとこころの部屋を開きつづけたい。お気持ち、サポートをお願いしています