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2022年2月6日

今日のココ日(ココルーム日記)
今日は船場エクセルビルの釜ヶ崎芸術大学展示会場で詩のワークショップとトークイベントの二本立て。
僕も現場のお手伝いでココルーム代表の假奈代さんについていった。
詩のワークショップ「こころのたねとして」は假奈代さんが編み出した詩の作り方で、二人ひと組になって出されたお題についてインタビューし合い、それをもとに相手のことを詩にするというもの。
今回のお題は「持っているモノ」。
初めて参加する人たちがほとんどの中、うーんと唸らせる作品が次々生まれた。
そして假奈代さんとアーツカウンシル東京の森司さんが対談するトークイベント「野垂れ死にの向こうに」。
僕はこのタイトルを假奈代さんから聞かされた時、なぜ野垂れ死になのか分からないまま、推測でFacebookの告知文を作ったりしていた。
僕の意識がタイトルの言葉に引っ張られすぎて、逆に死とは関係のない話になるのだろうと勝手に推測していた。
上田假奈代と森司がトークするのにまさか「死」について語り合うことにはならないだろう、と。
オンラインでの視聴申し込みの方たちの中には、「死について話を聴きたい」という期待の声もあり、僕は二人の話が死とはまったく関係なく進んでしまうことを想定して、参ったなぁと思っていた。
午後4時、トークが始まる。
二人の簡単な紹介のあと、あいさつ代わりの森さんの質問に答えるようにして假奈代さんが語る半生には、すでに友人たちの死や釜ヶ崎の人たちの死が深く刻まれていて、今の表現者としての彼女を語る上で「死」というものが常にそこにあるものとして存在していることが明らかになっていく。
森さんは、そこから更に假奈代さんの表現活動への質問を続け、彼女が詩業家宣言をした時の覚悟を語らせていった。
もともとキュレーターだった森さんの、上田假奈代というアーティストへの興味と、彼女の表現活動への敬意と、トークイベント自体への配慮が絶妙のバランスでミックスされ、僕のちっぽけな常識の世界での、(「野垂れ死にの向こうに」というテーマが的はずれなものとして終わってしまうかもしれない)という危惧は、それ自体が的はずれなものであったことを思い知らされた一時間だった。
上田假奈代という人の表現は、彼女が「野垂れ死に」という強烈なことばを、誤解を恐れず当たり前に使うことで、彼女自身の覚悟と気合をもってこの世界に生み出されるものなのだということ。
そのことを僕は改めて学び、そして、自分の思い込みを気持ちいいくらい見事に壊して、本当に「野垂れ死にの向こう」を見せてくれた二人の存在に感謝を覚えた。
釜ヶ崎芸術大学が参加する大阪関西国際芸術祭もいよいよあと一週間。
今日僕たちが作った詩も張り出してあります。
船場エクセルビルのお近くにいらした際はぜひお立ち寄りください。
(書いた人:テンギョー)

現在、ココルームはピンチに直面しています。ゲストハウスとカフェのふりをして、であいと表現の場を開いてきましたが、活動の経営基盤の宿泊業はほぼキャンセル。カフェのお客さんもぐんと減って95%の減収です。こえとことばとこころの部屋を開きつづけたい。お気持ち、サポートをお願いしています