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「うたいたいから始まる衝動」

取り上げるアーティストに直接連絡を取り合って作りあげるが、他と違う!って言われることを目標に突き進んでいます。(自我の目覚め)

「いつか誰かの耳元に」
2記事目は、16歳高校生アーティストをピックアップ。

2022年3月、眠れなくなった深夜バスの朝5時過ぎ、はじめて聴いた彼女の声は今もまだ心の深くに残ったままだ。

「舌っ足らず」

学校、行事、家庭のこと、今後の将来について考えることは人それぞれ違うが、その時、16歳だったということは、それが2022年であろうと、1990年だろうと変わりは無い。ルーティーンする日々、いわゆる大人の生活を過ごしていくと、考えることはあるものの、人生が変わってしまうような選択をする機会は、ほぼ無くなってくる。そもそも多感な時期に、感受性が強い人間が自己表現として、音楽を選んだ時の衝動には何か他とは違う魅力がある。

それはギターを持った瞬間なのか、歌を口ずさんだ瞬間なのか、誰かに聴いてもらえた瞬間なのか、どのタイミングで人はアーティストと呼ばれるのかを考えたことがある。

音楽というジャンルにおいて、需要と供給という言葉に当てはめるとすると「うたいたい」「ききたい」が、重なり合ったときに「アーティスト」と「リスナー」の関係がはじまるのだと考える。東京ドームでライブをしようが、真夜中にツイキャスで配信をしようがそこに大きな違いはない。

配信は不定期であるが、回数を重ねるたびにサポーターが増えていく様子をみていると、「うたいたい」の衝動から始まり、それを「ききたい」気持ちとが重なっているのだから、僕の中で彼女は「いつか誰かの耳元に」届けたいアーティストなのである。

音楽は自由だ。だから、いつ始めても良い。裏を返せば、いつ辞めてもいい。続けるも続けないも自由だ。

16歳。今後のことを考えたり、どうしたら良いかわからない時もあるとは思う。いま大事に抱えている「うたいたい」が、出来るだけたくさんの人に届いて「ききたい」が増えていく未来のために。続けることを諦めないように、微力かもしれないがこの記事を通して背中を押していきたい。

2022年5月29日にTwitterに、3markets[ ]の楽曲からホームパーティーの弾き語りcoverが投稿された。

Coverを歌う時に大事になるのは、歌声や雰囲気であったり、ギターアレンジであったりもするが、歌ってみた!や、弾き語ってみた!が乱立する時代において大事なのは、等身大で表現できているかだと感じている。

原曲からすると賛否両論ある弾き語りアレンジなのかもしれないが、3markets[ ]Voからの返信を見てもわかる通り、これが彼女の今の「うたいたい」のカタチであり、その「らしさ」が、きっちりと、はまっている。

「コインは大丈夫ですよ。無料で出来るんだから」と、はにかみながら伝えても、隠しきれない「うたいたい」ができるだけ長く続くように、「いつか誰かの耳元に」届くように。

「いつか誰かの耳元に」2記事目ここまで。
最後まで読んで頂きありがとうございました。

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※「舌っ足らず」って名前のまま記事を書いても大丈夫ですか?
って聞いたとき、元気に「はいっ!」って返信が来たのをみて、なんかこっちまで元気でました笑 記事の作成にあたり、「おぼせ」を撮りなおして頂いたり、忙しい中、記事の確認をして頂き、ありがとうございました。

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