モノケロス_フェアレディ2000

生命力イラスト・想い出の車シリーズ③ダットサン・フェアレディ2000

今回はダットサン・フェアレディ2000です。ダットサンとは、そもそもは日産の源流のネーミングだったのですが、今では日産の海外ブランドのひとつとなり、日本では消えてしまいました。

そんなダットサンの近代スポーツカーのルーツは、1957年に発表され、59年から生産されたダットサン・スポーツ1000(S210)です。この車が同時にフェアレディというスポーツカーの歴史のはじまりになるのです。

ダットサン・スポーツ1000は、4人乗りの本格的なオープンカーでした。

その後、1960年1月に発売された「ダットサン・フェアレデー1200」が、初めてフェアレディの表記で登場したクルマになります。

当時は、「フェアレディ」ではなく「フェアレデー」という表記になっていたそうです。

その後1962年10月に2代目のフェアレディとなる、「ダットサン・フェアレディ1500」が登場します。

SP310と呼ばれるモデルで、このモデルが今回紹介する「ダットサン・フェアレディ2000」(SR311)に進化していくことになります。

フェアレディ1500(SP310)は非常にユニークなクルマでした。

スポーツカーであるにもかかわらず、ダットサン・トラックのシャーシを流用していたという点も驚きですが、乗車定員が3人という点もいまのクルマでは考えられないような奇抜さです。1人乗りの後部座席は、なんと横向きに取り付けられていたのです。

ちなみに、このフェアレディ1500は、ウルトラQのヒロイン・星由里子の愛車として、第七話「SOS富士山」に登場しています。

その後、後継機として、1965年5年に「フェアレディ1600」(SP311)が発売されることになります。

フェアレディ1600に搭載されたSP311エンジンはOHV形式でしたが、排気量が1595ccにアップして高回転化され、わずか920kgという軽量なボディのおかげで、最高速度は165km/h、ゼロヨン加速は17秒6をマークしています。このSP311からフロントのブレーキがディスクブレーキに変更されています。

そして、国産車初の200km/hオーバーを実現したフェアレディ2000(SR311)フェアレディ1600(SP311)の追加モデルという形で、1967年3月に「フェアレディ2000」(SR311)が発売されることになります。しかしながら、その性能の違いは圧倒的でした。最高速度は205km/hを出すほどです。

フェアレディ2000のデビュー直後、第4回日本GP(GTレース)に出走し表彰台を独占して実力を示してもいます。

しかしながら、市販型は旧式の骨組みとタイヤだったため、エンジンのパワーを吸収できず、とんでもないジャジャ馬として名を残しました。フェアレディが文字通り「貴婦人」になるには「Zシリーズ」の登場を待つことになります。

横に立たせたドクター・モノケロスは、ラテン語でユニコーン(一角獣)の化身という設定なんで、フェアレディ2000とはいわば「馬」つながりになるわけです(^^)



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 プロレス観戦記書き | せかぷろ | プロレス“ザ・モンスター”ハラダ
両親2人の介護を一人でやってます。プロレスブログ「せかぷろ」&YouTube「チャンネルせかぷろ」主宰。現在ステージ2の悪性リンパ腫と格闘中。

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