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1人雑談・考察Live6〈文字起こし版〉

※雑談ライブで話し言葉を文字起こししてます。さらに内容がわかりやすいようにと音源とは少し言葉を変えてます。聴きながら読むと混乱するかもしれません。


◆6-1 意味のわからない話②(まとめ)

カードのお話(意味のわからない話)で、前回の話の続きというよりは、まとめみたいなものをただ話すだけなんですけれども。

前回のライブのやつを編集してたんですね。
編集している時に、そういう言葉みたいなのが思いついたのでそれを紹介しますっていうことでカードの話で、今回のテーマで入っているんですけど。
それを紹介しますね。
前回と話してることかぶってはいるんですけど、そういうことですかみたいなっていうことで、一応読みますね。

辻褄

人は宇宙に広がっている情報と比べて
数少ない情報しか一度に得られないものである

「今この瞬間」の間だけで起きている出来事に
辻褄を合わせた行動をしようとすると
むしろ苦しくなる事が多くなるだろう

この辻褄が合う瞬間というのは
それをやった後やこれから出逢う人と
会う事でわかる事である

これを信頼し行動するものが
己と全体を信頼している状態なのだ

千尋ゆか/〈詞101〉辻褄

っていう。
この言葉が編集しているときに来て。
カードの話のまとめたものが、多分これなんだろうなっていうことです。うん。

多分(伝えたいことは)この最後の「己と全体を信頼してる状態」っていうことなんだろうなっていう。なんですよね。
そのつじつまが合わない。辻褄を合わせようと行動すると、多分今後苦しくなるから、だから信頼する。
今この瞬間にやりたいことを信頼する。
それが己と全体を信頼している状態。だからOKみたいな。
うん。っていう感じですね。はい。ていうのを紹介したかっただけなんです。

◆6-2 真我の話①

真我のお話。

真我

情報を鵜呑みにするのは、地に足がついていないということ

情報に対して素直になれないのは、今の自分を見ていないということ

情報を得た時の己に注目する者が真我となる

千尋ゆか/〈詞103〉真我

ていうその言葉が降ってきて。
この「情報を鵜呑みにするのは、地に足がついていないこと」っていうのは、鵜呑みにするっていうのが、どういう状態なのかっていうのは…。

例えばこの人の言うことだからとか、こういう事実があるからとか、…こういう事実があるからっていうのも場合にはよるんですけれども。
鵜呑みという状態は、その情報を咀嚼していない状態なんですよ。
咀嚼することが大事です。っていうことを多分言いたくて、この言葉が出たんだろうなと思うんですけど。

その後に、「情報に対して素直になれないのは今の自分を見ていないこと」っていうのは、素直になれないっていうのが何かポイントで。
そのもらった情報が単純に自分にとって必要ないなっていうふうに思うんなら、それでOKで。
これは自分にとって必要んだろうなって思うなら、それはそれでOK。

なんだけど、その情報を受け取ったときの自分の状態が、必要ないなって思ってモヤっとするのか、必要あるなと思ってモヤっとするのかとか、そういう情報を受けたときの、己の状態を見ているのかっていうことが、それをやることが真我。
その真我っていうは、「真に我」で真我なんですけど。
それが真我なんだっということ。

私この言葉をメモしてたんですけど、メモをした時に、
「情報に対して素直になれないの今の自分を見ていないということ」っていう、その文章は最初、「情報を無視するのは、今の自分を見ていないこと」っていう言葉だったんですね、最初。
だけど後で見たときに、何かちょっと違う。違うっていうか、なんかモヤっとするなこの表現って思って。もっと何かいい表現ないかなと思って。
その後に「情報に理解を示さないのは、今の自分を見ていないということ」っていう言葉に変えたんすよ、メモにね。

書いたんだけど、書いたんだけどそれでも、今日見たときに、まだちょっと何か違う気がするなと思って出てきたのが、
「情報に対して素直になれないのは」が一番しっくりくるなと思ってこの言葉に変えたんですよ。
まさに自分で出したけど、自分でね。言葉で出したけど。
その言葉をそのまま渡す。広めるじゃなくて。
でも自分にとってこの言葉はちょっと違うなって思ったことを信頼して、もっといい言葉ないかなっていう風に修正したことが、真我なのかなっていうふうにこの話を通じて思いました。

たかぴいすさん「情報をカミカミして、ごっくんするのね。。不味かったら吐き出すか、もう食べなければいい。胃袋に入れば取り敢えず栄養にはなる(※コメント読み上げ)」

うん。そうですね。
ただ一つあるのが、とりあえず食べるっていうのは(咀嚼しようとする事が)、もしかしたらこのやり方は人によってはちょっと危険なことなのかもしれないっていうのは少しありますね。

飲む前にまずこれまずいわって思ったら、もう捨てていいみたいな。
そうすることで、これは自分にとっては不要なんだとか要るモノなんだっていうのが、精査できるようになってくるってことなんですかね。
要はより精度が高くなってくんですかね。咀嚼することがっていう感じなんだろうと、はい、思います。

◆6-3 真我の話②

この言葉を書いた時にですね。
私が思ったのは、「情報を得た時の己に注目するのが真我となる」
「己に注目する」っていうのが、2パターンあるだろうなっていうのが私の中であって。

一つはさっきみたいに自分の今の状態を見るみたいな、その情報を得た時に、今の自分の状態を見る。
この情報を得た時に、自分はどう思ってるのかなとか、嫌だと思ってるのかな、嫌だと思ったのなら、それは何でかなとか。

という事と、自分事のように置き換えるという事っていう意味もあるんじゃないかなっていうのがあって…。

自分事に置き換えるっていうことが、例えばなんですけど。
世間に起きている事を…、世間に起きている事は世間で起きている事だから、別にいいんですけど。
例えばそれに対して分析するなら、私はよく自分の体に例えて分析するんですよ。

例えば世間に起きている事があんまりよくない事だったとしたなら、あんまり良くない事が起きているっていう状態を自分の体に置き換えるとどういう状態なのかって考えると。
怪我をしている状態なんだなっていうふうに思う。
怪我をしている状態なら、自分はどうすればいいんだろうって考えた時に。
例えば薬を買うとか、絆創膏を買うとか、止血をするでもいいし、別にそのまま唾つけときゃ治るでしょっていう風に思うなら、そうするみたいな。

ただそういうふうに置き換えると、俯瞰して見えるっていうのかな。
ただ自分事のように置き換えるっていうのを、私はおすすめはしないんですけど。
いきなりこれをやるのはおすすめはしないんですけど。
ただ分析したい時にこれをやるっていうんすかね。

(祖国コーヒーさん)アメさん「そうですね、あとは食べ比べを必ずするようにしています。(※コメント読み上げ)」

そうですね。食べ比べして、じゃあ自分はどうしたいのかなっていう時に、もっと自分にとって食べたいものっていうのは多分あると思うんですよね。うん。

その食べ比べをして、そっちを吸収すればいいみたいなっていうことを私の前回のライブの編集してるときに、1人でやってました。
そういうようなことをずっと頭に巡らせてました。

◆6-4 決めておく事が余計な情報を入れないという話

なかなかこういう話をする時に、言葉を選ぶ時すごく大事だなと思いますね。
この言葉を選ぶと、こういうふうに思われちゃうかなって。
そういうことまで思ってはないんですけど、思ってないけど、その言葉を選んだ瞬間、その言葉に対して、「いや、こういうふうな見方もあるからこれも訂正して」みたいなのが同時に来るんですよ。

そうすると、どんどん話が広がってっちゃって、話がまとまらなくなるみたいなっていうのが私の中ではしょっちゅう起きる事なんですけど。
その「訂正して」っていう来る情報すらも、本当にそれ今訂正した方がいいのかっていうのもまた、咀嚼しないといけないんですよね、自分の中で。

今それ訂正しちゃうと、話がごっちゃになっちゃうでしょっていうのがあったりして。
なのでその時に自分は何を話すのかっていうのを最初にやっぱり決めておかないと、そういう余分な情報が多分横から入ってくるんだなっていうのも思いました。
最初に何を話すんだって時に、決めておかないと横から…っていうことがあるんだなっていうのを最近学んでます。

◆6-5 流れのままに生きる事と選んで生きる事

※この話はイラストで説明している話の後のお話の為、そちらを先にご覧なるとわかりやすいかもしれません。
それとあまり関係ない部分を切り取りましたが、一部わかりずらいところがあります。ご了承ください。
対象の話(22:51〜32:50)

たかぴいすさん「自分は時と場合を選んで、どちらも必要だと思います。意識的選択を重ねるべき事象とハンドルを手放すべき事象。(それを意識的無意識化という)(※コメント読み上げ)」

ほうほう…。そうですね。それも大事ですよね。
本当にハンドルを手放す時と、自分がハンドルを握る時。

私の場合はですけど、私1回ハンドルを握っちゃうと、もう全部ハンドルを握りたくなるみたいなっていう状態。
で1回放したら全部話したくなるみたいなっていう、そういう極端なところがあって。

ハンドル握るべきときは握る。放すときは放す。
っていう、それを自分がコントロールする訓練を今してるんだなっていうのを感じて、いろいろ勉強してるみたいなところなんでしょうね、今の私は、うん。

これは私が人を見た時に、癖で分析しちゃうんですよね。
見たときに、癖でこの人はこういう人なのかなみたいなって。

私がその人を勝手に決めないようにする為に、私は今、多分自分で考察してるんだと思うんですけど。
中立に戻るために、「でもこういうふうになってる」(って解釈する。)
自分の中でなんですけど。

こういうふうになってるから、別にこうかもしれないし、こうかもしれない、別にいいじゃんみたいなっていう。
自分の今までの常識を中立に戻す為に私は今考察してるみたいなところがあって…。

アメさん「道を外れすぎると、強制的にハンドル取られることがありますよね。(※コメント読み上げ)」

そうですね。うん。
道を外れ過ぎると、そうなんですよ、ありますよねきっと。そういうことって。
そういう時に、こういう場合はこうでいいんだみたいな、ていうこと学ぶんですね。

◆6-6 点と線の話

※この話はイラストで説明している話の後のお話の為、そちらを先にご覧なるとわかりやすいかもしれません。
それとあまり関係ない部分を切り取りましたが、一部わかりずらいところがあります。ご了承ください。
対象の話(22:51~32:50)

たかぴいすさん「ハンドルがもともと無かった想像すればもっとスリリング!🤣(※コメント読み上げ)」

笑。そうですね、そういう人生をしたいっていう人も中にはいるんでしょうね。
そのハンドルがない車に乗るみたいな。
それを楽しみたいんだみたいなっていう人も中にはいる。

この点と点だけで線の流れのまま。これ一直線にはなってますけど、本当はこういう(波のような線)、こんなような人生を歩むっていう人も中には…。

今思ったのは、この点の多さはその人それぞれ。
その決めれる量は人によって、魂の熟練度というわけではないけれど、もしかしたらそういうのもあるのかもしれないですね。
今ふと思いましたけど、ちょっと関係あるかわかんないすけど。

アメさん「私はそのおかげで何度も戻ってきました(※コメント読み上げ)」

そうですね。
そのように調整するんでしょうね。自分のわからないところで。
その何度も戻ってきたっていう、その経験すらもまた学びというのか。

自分で選ぶことができるんだとか、身を任せることができるんだっていうこと。
両方を知っている状態っていうことが、すごく幸せなことなんだなっていうふうには思いますね。
普通に考えるとって変なんですけど、それすらも知らない状態で生きている人たちもいっぱいいる中で、自分で点をつけることができるし、時にはその線の波に任せることができる。
っていうことを選ぶことができるっていうことが、それができる時代を生きているんだっていうことにすごいことなんだなっていうふうに思いました。

一つ話してないのが、この線っていうのが、インスピレーションなんだなっていうのも、同時に来てたんです。

アメさん「確かに。現代では、他の人がつけた点が、あたかもなりたい自分の点だと信じてる人ばかりだと感じます。(※コメント読み上げ)」

そうですね。それはありますね。
人がつけた点、こういう自分みたいな、こういうふうになる人間が価値があるみたいなとか、そもそも価値があることが、生きてる価値みたいなっていうふうにまた話している。話してるっていうか、そういう常識になっちゃってるみたいなとこもありますよね。
(そういう)点(常識)になっちゃってる。

その点っていうのは、私(の中で)は
点は「決めるエネルギー」とかで、
線は「決めないエネルギー」。

その決めるエネルギーっていうその点っていうのが、あの目立つものなんだっていうふうに思っていて。
目立つものなので、自然とそこに自分が目に行きやすいものなんだっていう視点に立つっていうんですかね。
ていうものが前提にあると、「これは点なんだ」(って見えて)。
この点以外のものを見ようとすると、今まで気づかなかったことに気づくことができるっていうふうに私は見てきた。

見てきたっていうか、ただ私はその点を見るのが実は下手で。
点じゃなくて点以外のものを見るっていうのが癖になっているから、何か全体が見えるみたいな、わかるみたいな。
こういうことが起きてるんだっていうのがわかる。わかるけど、だけど自分はどうしたいのかっていうのが、いつもわからなかった。

わからなくて、ただ線の流れのまま生きてきた。
けど、線の流れのままに生きていきつつも、私の肉体の性格の方はどちらかというと点をつけたがるタイプなんですよ。
そこでちょっと矛盾が発生してるんですけど、私の中では意識が2層になってるっていう感覚があって。
その全体をすぐ見る意識とでも自分はどうしたい、これをしたいという、何かわがままな意識の層っていうんすかね、っていうのが割と分かれてる。

それがうまくバランス取れてる時は、すごい人生が楽しい、楽しいというか、自然と何でも出来ている状態になってる。
自分で自分のことを考察するとなんですけど。

普通の人は、ただ点だけを見ている。用紙の中の真ん中の点を見ている。だけど中には、点以外だけを見ている人も中にはいるだろうけど、そういう状態であるということに気がついていない人も多分いるだろうな。
何の話だったっけ、これ?
今日はすごく時間の流れが早く感じますね、私。

◆6-7 止まる勇気

「一度タイヤの中に入ってみて、川の流れに身を任せてごらん!🤣🤣(※コメント読み上げ)」

笑。ぐるんぐるんですよ。

たかぴいすさん、「ふざけてコメントしてると思ってるかも知れないけど、川下りで一番安全で、かつ、速い乗り物は、実はタイヤなんだって。タイタニックだって時には沈没し。ゆかさんだって、割と何処でも行くんじゃないですか?(※コメント読み上げ)」

そうですね。
私も割とどこでも行くタイプですね。

私、鑑定してもらった時に私の守護霊さんから言われたのは。
「あなたは会いたくない人でも会おうとしますよね」みたいな。

ていうことをするから、自分にとって本当に必要じゃない事も全部吸収しようとするよねっていうところが、今の私の中では課題の一つなんですけど。
全部吸収するタイプで。全部吸収しようとするとか、全部知ろうとするところが良くないとこだなとは思うんですね。

ちゃんと自分で選ぶ、まさに点っていう点をつけるのが下手くそな私なんですけど。

「川下りで一番安全で、早い乗り物はタイヤ(※コメント読み上げ)」

そうなんですね。

たかぴいすさん「これから君はタイヤだ。空気しか必要ない。(※コメント読み上げ)」

そうですね。
前々回にお話したHITOYOさんにセッションを受けた時に、
最初「遠慮」っていう言葉が出てくるよ。
その次に「怖い」っていう言葉が出てくるよ。
その次に「勇気」っていう言葉が出てくるよ。
その後に「楽しむ」っていう言葉が出てくるよって言われたんですよ。

その時に出てきたその言葉の意味は私は理解してて…。
ただ勇気っていうところだけが、最初はその勇気っていうのは、「とりあえずやってみる」っていう勇気かなって思ったんですよ。
思ったんだけど、「いや、止める勇気かな」っていうふうに言われて。
それを言われたときに、そうだねって思って。

とりあえずやって違うなって思った時にそこで止まる勇気みたいなっていうのが、今の私には結構重要なところなんだなっていう。

止まるっていうか、ちゃんと自分で方向転換する勇気っていうんですかね。うん。
それがそうだなと思って。

確かにそうだな、このまま突っ走っちゃったら私は誰が止めてくれるんだろうっていう怖さがあって、なんでその1個勇気の前に怖いっていうのがあるんですけど、それがあって自分はこのままいったら突っ走ってしまう。
壁にぶつかるまで止まらない人っていう。
だから怖いが出てくるっていう、うん。

自分で自分をコントロールするっていう勇気ですね。
流れのまま突っ走ろうじゃなくて、ちゃんとハンドルをこの瞬間握るんだっていう勇気みたいな。
その流れを止めちゃったら私はまたその流れに乗れなくなっちゃうみたいなっていう怖さも多分あるんだろうなって私の中では。うん。

ていう感じです。

たかぴいすさん「外応を信じてみるのも時には必要。(※コメント読み上げ)」

ああ、そうですね。
うん、そうですね。
ありがとうございます。

声:千尋ゆか

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