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赤と青の波。‖川上弘美と笙野頼子を読んで

 今日、二冊の本を読んだ。川上弘美『溺レる』と『笙野頼子三冠小説集』。

どちらも文庫本だ。読んでいる途中に気づいたのだが、どちらの表紙もあやしげな波状の線が描かれている。前者では、波状の線が青と白の空間を切りわけている。後者では、女性の肉体のようなスポンジ状の山のようなかたちがあいまいに、これまた波状に画面を走り、こちらは赤と白の空間を切りわけている。青い波は、『溺レる』という短編集の主人公の女たちが男たちとのあやふやでふたしかな関係に溺れていく(というより、溺れさせていくというべきか)様をあらわしているのだろう。赤い波の表現しているところは判然とはしない。三つのバラバラな作品を収録しているわけだし一言では言えない。ぐにゃぐにゃと妄想へ沈んでいくひきこもる語り口のことなのかもしれないし、あるいは赤と白のぐにゃぐにゃは溶解した日の丸であるのかもしれない。

 ともかく、今日、この二冊の本を読んだ。

 自宅で何の気なしに読み始めた『溺レる』を、妻の出勤に連れ添って乗り換え駅の登戸まで行き、登戸のドトールで読み切り、その足で一駅隣の向ヶ丘遊園まで行きそこのブックオフで何冊か本を買い込み、続けざまにそこで入手した『笙頼子三冠小説集』を読みはじめ、読み終わったのは20時過ぎだった。後者の本は数か月前ににケンイチが勧めてくれた本だ。三つも入っていてお得だし手始めにどうかな、とケンイチは言ったのだ。たぶん、それは妻が朗読のためのテクストを探していたので教えてくれたのだが、妻は結局この本は手に入れずじまいで、代わりに伊藤比呂美の現代詩文庫を買って、「小田急線喜多見駅周辺」という詩を読んだ。「わたしたちは月経中に性行為した」という詩行が妻のお気に入りだ。それで、妻はなぜか取り違えて覚えこんでしまって伊藤比呂美のことをたまにショーノセンセイと呼んでいる。ケンイチには申し訳ないことだ。

表紙の共通点を見つけてひとり悦に入った私は、三冠小説集を読みながら無意識に川上弘美との共通点を探していた。だけど、あまり共通点はない。「タイムスリップ・コンビナート」という小説はどちらかといえばカフカの『城』とか『アメリカ』とか、スティーブ・エリクソンとか外国の小説を連想させた。こんなめちゃくちゃな、そしてあまりどこにも行きつかないような妄想・妄言みたいなことで小説はいいんだという驚きと、ぐんぐんドライブしていく車酔いのような読中感だ。いや、『溺レる』だって、おおかた妄想みたいな話なんだけれど。かろうじて見つけたのは、「タイムスリップ・コンビナート」で出現した、「アイシテイル」という語くらい。

「異様に肯定的な気分が発生していた。そうか私は凝り性じゃなくてただしつこいだけだ。でもアイシテイル。恋愛用のマグロを。
――ああ、似ている海、アア、ニテイル。」(「タイムスリップ・コンビナート」文庫p.22)
「ただ、マグロとの恋愛に凝ってしまっていた。まあ、恋愛で凝るという言い方は変かもしれないし 陶酔とか耽溺というような身も世もない感じに、本当は持っていきたいのだが、所詮、夢の中のこと、目が覚めてしまうと今ひとつとなる。それ故、恋愛に凝っているとしかいいようのない、そんな曖昧な状況、になってしまった。」(同上、p11)

 こうやって引用してみるといかにも意味不明だ。けど、マグロという異様な語を取り除けば川上弘美の世界とほとんど同じでもある。曖昧な状況。たぶん、「アイシテイル」というごつごつした言葉は90年代後半にはテレビ業界などを通して世の中に流布している言葉だったんだとおもう。

 小説を読み終えてそのままこの読書感想文も書いたが、妻は出社して会社の忘年会で伊豆の方へうまい海鮮丼を食べに行き、夕方ごろにいまから御殿場のアウトレットに行くと連絡があったきり帰ってこない。私は思い切ってケンイチに連絡しあらためて愛人契約を結ぶことにした。(了)

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