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わたしの中の「ゲジゲジ」を受け入れる ・・・・・・・・・・・・その①

唐突ですが、ゲジゲジと呼ばれる昆虫は、
一般にあまり好まれる虫ではないようですね。
見かけとか、出没の仕方などがゾッとしないからでしょうか。


でも、その生態を少し調べてみると、ゴキブリなどの衛生害虫を
エサとするので、ある意味では、人の生活に役立っている益虫と
いえるのかもしれません。


そのゲジゲジに相当するようなものが、わたしたちの心の中にも
ありませんか。
自分の一部なのに、そのイヤなところにだけ目が向いて、都合が悪い、
それに苦しまされているからとイヤだと拒否したり、許容したらどうなるかわかったものではないという先入観にあおられて、拒否してしまった
り。。。


そういうゲジゲジのようなもの、
それは、わたしにとっては、閉所恐怖症でした。


混雑した電車に乗るときのドキドキ。
込み合った電車やエレベーターが途中で止まってしまったらどうしよう。
そう簡単には、外に出られない。
逃げ道がない、という恐怖。



とにかく、閉所恐怖症は、統合心理学のセラピーを受けるまで、
なぜこんなものがあるのかと、ずっと切り捨ててしまいたかったのです。
こんな状態で、その良いところに、目が向くはずはありませんでした。



その閉所恐怖症は、心に生じた一種の症状ですが、
わたしたちの心というのは、様々な性質を持った面が集まってできている
とみることもできます。
統合心理学では、これらの面をサブパーソナリティ(以下、SPと略します。)と呼びます。
閉所恐怖症という症状もSPとみなすことができるでしょう。



心という見えないものを画像化してみると、イメージがわきやすく、
どんなものか、とらえやすくなります。



タイトルの絵では、SPを色の丸で表してみました。
絵図①

画像1



閉所恐怖症(ゲジゲジの部分)を拒否していたと時の心は、
一部が欠けた状態で全体(whole)ではなかったのです。
絵図②

画像2


さらに、心をオーケストラに重ねてみましょう。
様々な性質を持った面 ⇒ 様々な音色を奏でる楽器・その演奏者
となり、さらにイメージしやすくなるかもしれません。

そして、指揮者に相当するのは、
「わたし」(=自我)
になるのではないでしょうか。



指揮者がオーケストラをまとめていくように、自分の中のSPの性格を知り、生活 のどんな場面で活躍してくれるのかを見極め、適所で日々の生活に登場してもらい、人生を支えてもらえるよう指揮していくことが、「わたし」の責任になるでしょう。


それぞれのSPを知るには、やはり、SPと向き合う用意がなければできません。
それには、どんなにイヤだと感じているSPも受け入れます。


受け入れられない時は、そういう自分も
今はそうなのね、と受け入れます。


いずれの場合も、
許容するという強い意志が必要になります。


自分で自分の責任を負うこと
のあらわれでしょう。


後になって、このことは、
自分を大切にすることでもあると
ストンっと腑に落ちたのです。


このような統合心理学のメソッドで、今でもありがたく思っていることがあります。

それは、閉所恐怖症という症状に向かい合って、単にどのように軽くしていくかという術を習得することを目的としたのではなく、


症状の根っこを探るために
自分の奥深くに降りて
自分をのぞき込む

自己洞察のワークに重きを置いている

ことです。


こうして、13年ほど前に、
閉所恐怖症というSPとの対話をつうじて、
わたし自身を知る旅も始まったのです。
その旅は、今でも続いていますが、
当時の旅の様子を、『わたしの中の「ゲジゲジ」を受け入れる・
その②』で、もう少し記してみたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く


Reiko

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