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幸せに生きるために

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過去を過去にして、幸せに生きてゆけることを感じたものをnoteに。
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#神社

勁草であれ

強い雑草だったはず。 原点に還ろう。 そう、強い雑草だった。 また、始めよう。 いつまでも、勁草であれ。 いつから、エリート気取りになった? それでも構わない、流されなければ。 知らず知らず、心が全部すり変わっていないか。 あの頃の景色を忘れていないか。 もっと、心で感じるものを信じてもいい。 あの頃を思い出せば、また気付くだろう。 それまでエリート気取りを楽しめばいいよ。 何一つ責めたりしない。 好きなことをする。 眠りたいだけ眠る。 食べたいものを食べる。

呪詛

過去 支配のため 仕掛けられた 言葉 祭事 そういう物事に絡められている状態が多い。 その呪縛は、大きく強まっていく。 何となく知られているだけの、 その風習 その常識 根源は何? 俺に対する最大の呪詛は、約1200年前の始祖にある。 今も一族を苦しめている。 先代たちは、時を横臥した者、争いを繰り返した者、一族で血に血を洗う者、今もなおその影響を及ぼしている。 常識? 風習? そんなもの、ちゃんちゃらおかしい。 俺は、それらを作ってきた全ての先代たちへ

参拝

神社などを参拝する際には、いろいろルールがあります。 自分は、あまり守りません。 理由は、二つほど。 1、神は身近なもので、人々を守り赦すためにあると言っても良い存在です。ルールで縛っているのは誰でしょう。決めた人や経緯があるのです。それらは、霊的なことからそうなった訳ではなく、人間の側が畏れて決めたり、誰かが優位性のために決めたりしたものです。神は人間に向かって、「平伏せ、讃えよ、崇めよ。」などとは言いません。 2、鳥居をくぐる時に、「真ん中を歩くな。」と言います。自分

宗教観

下の写真は、香港の有名な黄大仙廟です。数年前に撮影したものです。地元の方も多いですが、観光地にもなっていますね。(ただの余談です💦) さて生家は、神社です。大きい神社ではなく、先祖代々引き継いでいる小さな武家神社で、神社の収入は多くはなく、それだけでは成り立たない程度です。歴史的には古く、ちょっとした有名な神社と比べてもそれ以上なほど、由緒はしっかりしています。今でも、その歴史を知る方や、その系統の方などがお参りに来ます。歴史上、一時的に公から姿を消した神社です。武家所有の

象徴がいつしか権威へ変わる。

初めは、清らかな心を表したことだろう。 だけど、長い歴史の時間の中で変化してしまった。 神だとか仏だとか。 象徴は、感動を与えるほど厳かな方が良い。 造り手は、芸術家である。 そこの意味を乗せるのは文学家である。 いつしかそれらは、宗教となった。 生活の中で見出した凛とした芸術は、崇拝へと変わってしまった。 そして解釈は広まり、ついには現人神を祭り上げた。 人々は、その権力を目指し殺し合った。 宗教が、政治と密接に関わっている理由である。 象徴は、単なる象徴に過ぎ

とても変な考えかもしれないけど考察してみる

日本の世帯は、4900万程度。会社はいくつあるのだろうか。そこから公務員等の国などに依存する人を差し引いて残った人々でどのくらいになるだろう。その人々で一斉に1〜2年税金を払わないとしたら、どうなるのだろうか。 公務員は武器を持って、一般市民に襲いかかるだろうか。武器の有無は別にしても、数では圧倒的な差だろう。その間、公務員以外の一般人の経済は前よりも良くなるだろう。例えば紙幣が発行されず不足したら物物交換や本当の意味での信用取引だって出来るだろう。互助の感覚は進まないだろう

宗教お断り

あくまで自論なので、NCで(笑) 白昼夢に誘われるように連れて行かれることがある。 (この状態で現世界の時間は、0秒で、進むことはない。) もちろん、寝ているときに見る夢でもいろいろ教えられる。 極め付けは、普通に起きている時に白昼夢モードに入らなくても、いろいろ見えることがある。 現世界に現れているという感じかな。ほとんどの人には、見えていない。 そんな見せられた中で、これまでにある重要なことを知って、この世の宗教は全てニセモノだと思うようになってしまった。 それが宗教