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進むべき道。示された道。信じるべき道。 体験を通じて得た道。
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Time is money, but money is not life.

人生っていうのは、時間のことだよね。 時間っていうのは、人生のことだよね。 お金は、時間でも人生でもないよね。 人間にとって1番大切なものがお金っていう時代に、誰がしたんだろうね。 お金と向き合ってる人は、それがしたいんだからそれでも良いじゃない。 だけど気付いた時に、お金が無くても大丈夫っていうことを覚えておいたら良いよ。 絶望しても良いけど、まだ他にもドアがあることを忘れなければ良いよ。 お金に支配されているなんていうのは、本当に虚構なんだから。

真の自由とは

もしも、あなたが真の自由の元に居たなら、、、 人々は、自由意志で個々の考えで行動している世界を想像してください。 例えば564合いや略奪、強姦、自由の中ではそれらも起こり得ます。 安寧のために必ず思想や道徳を説く人間が現れます。 また、力によって安全を確保する者が現れます。 あなたも安心して暮らしたいと願い、秩序を求めるでしょう。 その時、あなたは何かの力の元に集うようになるでしょう。 結果、真の自由というものが幻想であると簡単に答えが見えるはずです。 同志により、平和

お金の解釈

 お金にまつわることは多々書いていると思う。そのお金について解釈を深めるために整理してみることにする。大きな理由としては、善悪の議論の対象でもあるからだ。多くの人間にとって必要不可欠なお金を、解釈のために少しだけ要素を抽出して噛み砕くことで、多角的な観点からそれぞれに見えるようにして判断しやすくする。 ①そもそもお金とは何か?(括弧内は、物々交換に対応する意味) ・物理的に腐ることがない。(食べ物など劣化する物がある。) ・価値が変化し難い。(交換時の時価であいまいになりや

愛すべき・・・

人間の愚かさに気付いた時、どう思うだろうか。この世界は、競争社会なのは確かだ。しかし、その競争は望んだものなのか。その競争は、自分が自分に課したものなのか。その競争は、本当に必要なのか。 知らず知らずのうちに誰かが設定し、その誰かに与えられたものだということは完全に有り得ないのだろうか。その競争の頂点に居るのが誰なのかも知らないのに一体何と競争しているのだろうか。皆、現実が見えているとどうして言えるだろうか。本当は、結論を誰も知らないに。 そんな中で戦う意味はあるのだろう

根源

ソースは?という言葉を耳にする様になって久しい。 常識や学問やTVや偉い人を例にとってソースとする場合が多い。 ソースとは、根源のこと。 学校やTVで知ったことなどが根源と言えるだろうか。 常識や法律、社会性などを生まれた時から教えられる。そして物心がついた頃には、物事の分別をするようになる。確かに秩序が無ければ世界は荒廃するのかもしれない。 しかし裏返して考えたときに、その秩序を利用して支配が可能になる。 一つの答えの出し難い質問がある。 人を56すことについて、平時

紙切れが織り成す経済というギャンブル

本当は境界線なんて何処にも無いのに、地面にも、言葉にも、人間にも、境界線を引きまくって、もう誰も誰かに干渉したり、誰かに何かを言えない時代だ。 見方が違えば、受取り方は如何様にも変化する。 優しい気遣いも仇になったり、親しみの笑顔が馬鹿にされたと傷付けていることになったりする。 人がどのように間違いを犯して来たのか、皆それなりに理解しているが、権利や、依存や、保険や、無責任のために後戻りが出来ない。 何を捨てて、何を残すのか、誰が決めるべきなのか、そもそも何故従うしか

象徴がいつしか権威へ変わる。

初めは、清らかな心を表したことだろう。 だけど、長い歴史の時間の中で変化してしまった。 神だとか仏だとか。 象徴は、感動を与えるほど厳かな方が良い。 造り手は、芸術家である。 そこの意味を乗せるのは文学家である。 いつしかそれらは、宗教となった。 生活の中で見出した凛とした芸術は、崇拝へと変わってしまった。 そして解釈は広まり、ついには現人神を祭り上げた。 人々は、その権力を目指し殺し合った。 宗教が、政治と密接に関わっている理由である。 象徴は、単なる象徴に過ぎ

本当の意味

一般的な人間の枠を超えたところに答えがある。 一般的な人間の枠の中で思考しても答えはない。 簡単に言えば、常識の中に答えはないということ。 映画マトリックスの本当の意味は、このリアルに置き換えた場合には、プログラムの中にあるという意味ではなく別な考え方の常識の中にあるということ。 一般的な人の感情や思考の外のことだから、見つけることが出来ない。 その尺度を知らなければ、見つけることは出来ない。 その思考の遥か先に答えがある。 だから、未だに何が起きているのか理解出来て

地球規模の演出

今思えば、、、 飲食店を封じた理由は、雰囲気作りのため。 盛り場を静かにしないと雰囲気が出ない。 飲食店を封じると、家に家族で居ることになる。 TVを付けっ放しにする確率が非常に高くなる。 家族の中でバイオハザードへの恐怖心を持つ者が居れば伝染する。 暗い街 連日のメディア情報 加担する芸能人 金のために確証もなく解説する専門家 たったそれだけで、演出は出来てしまう。 そしてちょっと取締れば、勝手にマスク警察やら越県警察が沸き始める。 それをメディアでも取り上げる。

より良き未来へ

俺への、注意喚起である。 過去の俺は、そのことに気付かず配慮に欠けていた。 分断の手先になろうが、正しいことをするべきだと思っていた。 だが全てに気が付いた時、誰かにいいねしたとしても自ら発信することは極力辞めることにした。 以下、その気付き 実現出来ない考えなら、良心だとしても偽善でしかないのだ。 人任せの偽善(解決出来ないこと)は、正義とは言えない。 結局、どこかの誰かがやろうとしているチップ埋め込んで全員コントロールするのと似てる。 一緒になって分断の極に君臨

世界の全てを知った時

あなたならどうなりますか? 絶望? 希望? 脱力? 解脱? 達観? あなたは、全てを知ったわけではない。 あなたは、知りたいですか? その覚悟が、ありますか? いずれ多くの人が目にすることでしょう。 そして、思い知ることでしょう。 たった一つの真実と己というものを

無宗教であること

無宗教というのは、実はすごく悩ましい。 人間というのは、善とか悪とか何かにつけて分けたがる訳です。 そういう判断をするための蓄積というかバックボーンが無宗教である場合、全部自分思考が基礎となります。 何か正しいと思えることに依存したら楽です。 政治、宗教、スピ、学校教育、常識、親、その他の教えてくれることに従うなら楽なのです。 だけど、そんな人生を良しと思っていない。 だからと言って、過去のものを全て否定しているわけではないし、全ての考え方を自分で生み出している訳でもな

案外見えていない。 本当は、鏡のようなものだということが。 全然違うと思っていたことが、本当はそれほど差のないものだったり、鏡写しのように同じだったりするものだ。 近すぎると見えないこともある。 遠すぎると見えないこともある。 他人とのことだったり、自分の心の中のことだったり。 本当は全て、鏡写しなのに気付いていない。 どっちの世界にいるか気付いているかい。 世界も同じ。 自分も同じ。 他人も同じ。 宇宙も同じ。 全部、同じ。

見えない暴力

これは、至る所にあるのだろう。 思い掛けない場所に。 正義の裏にあったり、表現の裏にあったりするから難しい。 100%カバーしようと思うなら、それはもう宗教のように偽善になるだろう。 書くことの裏にも、描くことの裏にも。至る所にある。