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読書とともに過ぎ行き、心のレイヤーを増やす夜。

本は良い。

読書と思考の不離一体の体験から、新たなる知識や情報を得るのみならず、
心が様々な世界へとワープし、時間が経つのを忘れさせてくれる。

一人っ子という環境がそうさせたのか、自分の先天的な性質なのか、
ドッジボールなんかをするよりもずっと、図書室で本に囲まれるほうが好きだった。(だからといって内向的な性格ではなかった。)

小さい時は幼児向けに書かれた伝記や歴史書が好きだった。
まるでその人物になったかのように、本の中を浮遊することができたからである。

中学生・高校生になるとミステリー小説が好きになった。
東野圭吾の「白夜行」を読んだ時は、
はじめて本を読んで、読み終わるのが嫌だという気持ちに陥った。

数々の本との出会いの中で気が付いたことは、
「没入度の違い」である。

まぁ結構当たり前のことだけど、
新卒から3年はどうもしっくりくる本に出逢えなかった。
というより、読書が楽しくなかった。

とはいえ、いわゆるビジネス本や自己啓発系の本は読んでた。
でも今までの読書とは全く異なった感覚だった。

心身ともに結構疲れ切っていたし、
余暇は市場調査という名目で色んなところに出かけていたのが大きな要因だったと思う。
また、効率性や生産性を求める時代背景とともに、短時間で消費できるコンテンツに流れてしまっていたかもしれない。

でも、好きだったものが崩されていく感覚がすごく気持ち悪かった。
本を読んでいない自分がとてもダメな人間にすら感じるときがあった。

そんな時にふと「詩集だったら読めるかもしれない。」と思い
出逢ったのが、ドイツ生まれスイス作家のヘルマン・ヘッセである。

ヘルマン・ヘッセ
主に詩と小説によって知られる20世紀前半のドイツ文学を代表する文学者である。

「車輪の下で」という小説のイメージが強いヘッセだけど、
「詩人になるか、でなければ何にもなりたくない」と言って学校を中退してしまう、クレイジーな少年であったことは忘れてはならない。

彼の詩は孤独で美しい言葉で溢れている。

読書熱が再発したのは、彼の「ヘッセ読書術」を読んだ後からだった。

下記「ヘッセ読書術」から引用。

「この世のどんな書物もきみに幸せをもたらしてはくれない。
だが、それはきみにひそかに自身に立ち返ることを教えてくれる。
本を読む時間は、本を読んでいる自分を読む時間にもなる。
その時間を生きるなかで、他を見て自己を振り返る経験が生まれてくるのだ。
書物を読んで自己を形成し、精神的に成長するためには、ただ一つの法則とただ一つの道があるのみである。
それは、自分の読んでいるものに敬意をもつこと、理解しようとする忍耐力をもつこと、他者の意見を認め、それを注意深く聞くような謙虚さをもつことである。
友人の言葉を注意深く聞くように読書する人に対しては、書物は心を開き、その人のものとなる。」

当時の私には、ずっしりすぎるほどの重みを感じた。

ヘッセは、読書が精神的な成長に欠かせないと確信している。
読書を余暇を楽しむための娯楽と見なしていた私にとっては大きな気付きとなった。

最近、
「本が最後まで読めない。」

という相談を受けることが多々あるが、
内容にばかり囚われるのではなく、本への向き合い方、読書する態度を見直すことによって人間力を磨く可能性を秘めているんじゃないかと感じる。

没入度はきっとその時の時代背景や、心情によって異なり続けるんだと思う。
でも、本を読むことはこれからもきっと私という人間を形成するのに欠かせないツールであり続けるんだろうと思う。


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