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生きることは、死ぬほど汚くて、残酷なほど美しい【三秋縋「三日間の幸福」を読んで】

ずっと、偉くなるか世界を変えるかの二択で迷っていた。そのどちらかが達成されて、自分という概念が永遠になればいいと考えていた。あるいは、同窓会で威張れるレベルの成功でもよかったのかもしれない。

とにかく、僕は何者かになりたかった。過去の鬱憤をすべて晴らしてなおお釣りがくるような、変革を求めていた。

僕は、中学生の頃から小説家を志していた。絵も音楽もかじってみたけれど、上手くできなかった。でも文章だけは読めたし書けたから、小説家になれると思った。改めて考えてみれば、日本人なのだから日本語の読み書きはできて当然なのだけれど、とにかく、当時の僕は良く知りもしない小説家という仕事で将来は生きていくのだという確信を持っていた。

そうして何本かの小説を書いてみて、僕は心底自分にがっかりしたのだ。

憧れの小説家は何人かいたし、穴が開くほど読み込んだ。根拠もなく自分を天才だと信じていたから、1作目から彼らを超える小説が書けるのだと思っていた。大きな間違いだった。

僕が書いた小説は、お世辞にも面白いとは言えなかったし、文章は粗だらけの酷いものだった。ストーリーも陳腐すぎて1行目からオチが想像できてしまう有様だ。まったく、救いようがない。

それでも諦めずに書き続けて、「エブリスタ」や国内最大級の小説投稿サイト「小説家になろう」などに短編を上げていった。どんな酷評の嵐が巻き怒るのかとヒヤヒヤしていたが、現実は良くも悪くも僕の期待を裏切った。

「何もなかった」のだ。大勢の人に読まれることもなく、数少ない読者には鼻で笑い飛ばされるかのように無視をされ、評価がつくことはなかった。最後まで読んでもらえたのかも分からず、僕は、ただ呆然と「0ブックマーク」という文字とにらめっこしていた。

それでも小説が書きたかった僕は、評価を気にせず書くことにした。いや、本当はかなり気にしていたのだが、下手な鉄砲なんとやらの精神で書いては載せ続けた。すでにエブリスタの人口は少なくなっていたので、小説家になろうを利用した。

そんな僕の小説には、ある日を境に、少しずつ評価がつくようになっていく。

一般的には評価されにくい「文芸」というジャンル、さらに言えば短編なので感情移入もしにくい作品ばかりだった。だというのに、最後まで読んでくれた物好きが少なからず居たということにびっくりした。直後に、こみ上げてくるわけのわからない感情が僕を飲み込んだ。今なら分かる。死にたいほどに満たされてしまったのだ。

よく「本棚を人に見られるのは恥ずかしい」という声を聞くが、きっとその恥ずかしさを100倍に濃縮したものが「小説を読んでもらうこと」だと思う。

仕事でなく、プライベートな自分の時間を費やして書き上げた空想の物語を他人に読んでもらうというのは、つまり作者の思想や思考、さらには知能レベルや性格、性癖といったあらゆる情報をまるごと渡し、受け取り方まで委ねることに他ならない。恥ずかしくないわけがないのだ。

しかし、その小説を「面白かった」「感動しました」などと評されると、言いようのない高揚感や充足感が身体に満ちてくる。それは、小説を褒めてもらえるということは、誰にも触れられない自身の核のようなものを、他者が認めてくれるということだから。見た目や性別に関わらず、人間として、生きた軌跡すべてを肯定された気がするから。

僕はその感覚の虜になった。「自分を満たして欲しい」「自分の優秀さを多くの人に認めて欲しい」といった動機で小説を書き続けた。そのせいで、僕の小説は、説教臭いものだったと思う。「お前ら人間はこういう部分あるよな。こうしたらもっといいのに、それができない哀れな人間どもに俺が啓蒙してやるよ、ほれ」という、自己肯定感を満たしたいという魂胆が見え見えの作品ばかりだった。

ちょうどその頃、進学や就職といったイベントが重なったこともあって僕は小説を書かなくなった。いや、書けなくなったと言うべきかもしれない。

理由は明白だ。「書く必要がなくなった」のだ。自己肯定感を満たしたいという動機だけで筆を執っていた人間は、現実世界で他者に認められてしまえば小説を書く必要も読む必要もなくなる。大学で彼女ができ、教授に褒められ、夢を見つけた僕は、次第に文章から距離を置いていった。もしかすると、文章の方が僕を拒絶していたのかもしれない。文章とは命や思考を削って生み出すもの。当時の僕のように利己的で未熟な人間が利用していいほど、低俗なものではないのだ。

就職してからは地獄のような日々が続き、時間的にも物理的にも小説を各余裕はなかった。務めていた会社を半年で辞めると、僕はフリーランスのライターとして生計を立てることになる。なぜライターを選んだのかといえば、小説を選んだときと変わらない、「それしかなかった」からだ。

僕は生意気にも多くのクライアントから仕事をもらえるようになった。はじめのうちは嬉しかった。小説を褒められたときと同じだ。自分は役に立っている、報酬を支払ってでもお願いしたい価値のある人間なのだとダイレクトに感じられたから、仕事にはとことん熱を注いだ。それが過ちだということにも気づかないまま。

フリーランスのライターを始めて2年近くが経過した今、僕は大きな大きな壁に直面した。彼女ができて、会社の取締役にも就任して、友人に囲まれ、時間の制限もなく自由に生きていて、お金も同世代より多く稼いでいる。それなのに、僕は心の奥底でずっと「生きていたくない」と考えている。なぜなのか、3時間ほど散歩をしながら考えてみた。

原因は、最近読んだ小説にあった。その小説家は「三秋縋」といい、僕が今生きていられる理由のひとつになった人物だ。僕は彼から間接的に人生を学んだ。生きていたくない人間が生を繋ぐ理由を教わった。

一昨日、僕は彼の代表作でもある「三日間の幸福」を、数年ぶりに手にとって、読んでみたのだった。当時と同じように涙し、憧れを抱いたのは言うまでもない。ただ、それ以上に大きく燃え盛る炎があることに気づいた。

「悔しい」と思っていた。

僕も今や、彼と同じように文章で飯を食う人間の端くれ。それなのに、彼と僕は月とスッポン…いや、土星と冥王星くらいの距離が開いている。いま「水金地火木土天海冥」と心のなかで唱えた方は、今週一週間大吉になる呪いをかけておいたので用心するように。

彼の小説は、ただただ純粋な祈りの塊だ。世界がこうであればよいのに、という彼自身の願いが狂おしいほどに詰め込まれていて、それが美しすぎるのだ。美しすぎる祈りを前にした読者の多くは、彼と同じ呪いを抱え、小説の中で語られる「送れるかもしれなかった人生」に思いを馳せながら生きていくことになる。三秋縋という作家は僕らとあまりに近いところにいながら、遠くの世界で生きている人間なのだろう。

僕は、一般的に見れば成功者に属する人間のはずだった。毎日満員電車に揺られることもないし、口うるさい上司もいない。出会いを求めてアプリで無為な時間を過ごす必要もないし、毎月好きなタイミングで旅行に出かけられるくらい、幸せだった。それなのに、彼の小説を読んだとき、俺は自分の手に入れたあらゆる幸福がガラクタだったことに気づいてしまった。

もちろん、彼女は大切だし、今仲良くしてくれている友人も死ぬまで付き合っていきたいと思っている。仕事は大真面目にこなしているし、これからもっともっと頑張っていきたい。それらは否定するまでもなく、僕の力で手に入れた幸福だ。

重要なのは、僕自身の生きるスタンスにある。僕はもともと「生きることにうんざりしている人間」だった。幼少期の劣悪な環境によって、生きることは罰であり修行のようなものなのだから、苦しさを紛らわせるための術をたくさん学ぼうと思っていた。でも、「そんなことをしてまで生きる必要なんてないんじゃないの?」という僕も存在していて、僕の頭の中では「生」と「死」が常に緊迫した鍔迫り合いを繰り広げていたのだ。

そんな中で、僕は心の底から「生きていてよかった」と感じられた瞬間がある。小説を褒められたときだ。

名前も住んでいる場所も年齢も知らない誰かが、僕の書いた小説を時間を書けて読んでくれたこと。そのうえで、手間を惜しまず感想を書いて送ってくれたこと。次の作品も、その次の作品も読んでくれたこと。その人が、僕と友だちになってくれたこと。

それだけが、僕の人生に必要なことだったのだと気づいてしまった。三秋縋の小説を読んで、僕はたくさんのことを思い出した。中でも大切なのは、たった一つ、さっきも話したが、僕がどうやって生きていって、どうやって死んでいくのか、というスタンスの話だ。

「生きていてもいいかな」と思えるような、人生の中でひょっこり顔を出す美しい瞬間に立ち会いたいこと。できることなら、その美しさを文章を通して誰かに共有したいこと。

なぜなら、僕はそもそもこの世界で生きることにうんざりしているから。満員電車に乗ることも、お金のために誰かを叱ることも、叱られることもバカバカしくて、せっかく手に入れた人生の大半を仕事に費やして、周りの目を気にしながら対して仲良くもない人間と仲が良いフリをして社会的な生存権を確保する。そんなのを「生きる」と呼ぶのであれば、僕はこの先長い人生を生き抜く自信がないのだ。劣等感を感じてしまうほどに、僕はそうしたオーソドックスな「生きる」ことに向いていないのだ。

僕は「生きていてもいいかな、と思える美しい瞬間に立ち会い、誰かにそれを伝えられるような作品を生み出すこと」でしか、長い人生の海を泳ぎきれない。小説に感想がついたあの夜のように、息継ぎみたいに時おり訪れる感覚がなければ、息が続かない。非常にシンプル、そして奥が深い命題だ。

ライターとして抱えている仕事はビジネスだから、人を感動させる必要はない。僕はそんなことに時間を使って、さらには仕事が増えることを喜んですらいた。気が狂っている、としか思えない。今の僕から見れば、息を止めたまま太平洋を泳ぎきろうとしているくらい馬鹿げた行為だ。

けれど、これまでの僕は、そうやって認識や自身のスタンスを捻じ曲げることでしか、生き抜けないと思っていたのだ。適応し、ある程度の成功を収めることが過去の供養や未来の創造につながると信じていた。あまりに安易でチープな解決策。むかし思い描いていた「ダッサい大人」に自らなっていたのだから、本当に笑えないくらい恥ずかしい話だ。

僕は今日この日をもって、自分の人生に責任を持とうと思う。無責任に生を引き伸ばすことはしない。自分の求めるものをぼやかして、他人と比べて、人より満たされているから幸福だなんてピントのずれた解釈もやめる。僕は、俺は、俺の求めたものを手に入れるためにこの人生を使う。そうして、死ぬ間際に叫びたい。

生きることは、死ぬほど汚くて、残酷なほど美しい、と。

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