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中国一調味料の創業者「老干媽」


中国人に「中国で最も有名な調味料は何?」と聞いたら、出てくる答えは「老干妈(日本語名:老干媽、発音:ラオガンマー)」というブランドになる可能性が非常に高いと思います。ラー油に豆チ(黒大豆を発酵させたもの)などの具を加えて作られる独特な風味を持つ、一回食べたらクセになる辛い調味料です。麻婆豆腐や炒飯にはもちろん、餃子のタレにも、麺のスープにも、幅広いシーンで使われます。実は、私は忙しい時に、「老干媽」を大さじ一杯ほど白いご飯に乗せ、それだけを食べる時もあります。健康的ではないものの、かなりご飯がすすみます。

「老干媽」は、1997年に立ち上げられたブランドで、今では十数種類があり、中国のみならず、世界の数十か国で販売されています。中華料理があるところなら、必ず「老干媽」があると言われるぐらい中華料理には必要不可欠な存在になっています。日本の場合、様々な中華食材物産店はもちろん、肉のハナマサやドンキホーテ、それにアマゾンでも購入できます。

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一回食べたらクセになる味以外に、「老干媽」にはもう一つの特徴があります。それは、瓶の包装紙に「老干媽」の創業者の陶华碧さん(繁体字:陶華碧、読み方:タオ・ホァビ、アルファベット:Tao Huabi、下記陶さん)の顔写真があることです。創業当時50代だった陶さんの白黒写真なので、時代も感じられます。陶さんはまだ健在で、会社は今でも陶さんと陶さんの息子によって経営されています。実は、「老干媽」の意味は、「おふくろさん」で、それは近所の人が陶さんにつけたあだ名だったそうです。今回の記事は、陶さんの生い立ちと「老干媽」創業について述べたいと思います。

貧乏な生まれ

陶さんは1947年に貴州省の農村で生まれました。広東省の少し北西にある「省」(日本の県に相当する行政単位)で、中国の最も貧しい省の一つとして知られています。家族には余裕がなかったので、陶さんは小学校に行けず、読み書きも教わりませんでした。20歳の時に結婚し、二人の子供を産みました。

運命は陶さんに対して、決して優しくありませんでした。子供がまだ幼い時に、ご主人を病気で亡くしました。未亡人になった陶さんは、家族を支えるために、止むを得ず農村を出て、貴州省の省都である貴陽市で働くことにしました。1989年にささやかな麺屋を開き、多忙な日々を送っていました。麺屋と言いましたが、厳密に言えば、売っていたのは「麺」ではなく、「凉粉(リャンフン)」という緑豆の粉(こな)で作られた「ところてん」のような食品です。貴州省ではその凉粉に辛いソースやピーナッツをかけて、麺のような主食として食べられています。

陶さんの店は近所の人、特に隣の学校の学生たちの間で人気になりました。貧乏な学生に普通より安い価格で食べ物を提供したりして、学生に親しまれ、「老干媽」というあだ名までつけられました。その意味は、「おふくろさん」に近いです。陶さんは他の店とさほど変わらない凉粉を提供していましたが、一つの差別化できる特別兵器がありました。それは陶さんがラー油や豆チなどをミックスして作った自家製マーラーソースでした。そのソースはお客さんに大好評で、皆必ず大さじ一杯二杯のマーラーソースを凉粉にかけました。

ある日の朝、陶さんは体調がよくなかったので、市場で唐辛子を買いに行けませんでした。そのため、自家製マーラーソースを提供できませんでした。驚いたことに、数人のお客さんがそれを聞いた時に、極めてがっかりした顔を見せました。その出来事は陶さんに大きな気づきを与えました。それから、陶さんは試作を重ね、香辛料や素材を調整しながら、自家製マーラーソースをより美味しくすることに力を入れました。その結果、一部のお客さんは凉粉を食べ終わった後に、お土産として陶さんのソースを購入しました。時々、ソースの購入だけで店を訪れるお客さんもいたようです。

「老干媽」の立ち上げ

自分のソースの潜在力を見極めた陶さんは1996年7月に大きな決意をしました。7年間経営してきた店を畳み、今までの貯金を使ってマーラーソース製造工場を立ち上げました。最初の商品名は、先述した陶さんのあだ名の「老干媽」(意味:おふくろさん)に「唐辛子ソース」を意味する「麻辣酱」を加えて、「老干媽麻辣酱」にしました。発売してから間も無く地元の人気商品になり、周りの凉粉の店だけではなく、会社の食堂やスーパーからの注文も殺到しました。

老干媽は最初順調でしたが、人気を集めれば集めるほど、偽物の商品が現れてきました。「老干媽」のブランドをそのまま勝手に使う商品もあれば、酷似したパッケージを使って顧客を混乱させる商品も雨後の筍のように現れました。知的財産権の意識が薄かった当時の中国には、よくある話でした。幸いなことに、陶さんは理不尽に直面したとしても、諦めませんでした。優れたマーラーソースを良心的な価格で提供することを一筋に続けていました。ようやく2000年代に、中国政府が知的財産権の強化に取り組むことにつれ、殆どの偽物ブランドが潰れ、陶さんの老干媽は圧倒的な中国一の調味料ブランドに成長しました。

経営理念

2016年の数字によれば、その年に「老干媽」は4000人ぐらいの従業員を雇い、150カ国で年間5億瓶ぐらいを販売し、約800億円の売り上げも達成しました。陶さん自身の資産も約1000億円あり、FORBES紙の中国の億万長者リストにランキングしました。今、CEOの席から退いており、会社の経営を二人の息子に任せましたが、未上場の同族経営なので、陶さんはまだ自分のあだ名と顔写真に代表されている会社に強い影響力を持っていると想定されています。

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実は、「老干媽」の独自の経営理念は中国でかなり有名です。これから、数点を取り上げて紹介します。

まず、陶さんは誰でも手を出せる値段を維持ことが大事だと思っています。そのため、発売当初の90年代半ばから今まで、中国の物価と消費水準が著しく高騰したにも関わらず、「老干媽」のソースはずっと8~10元(為替レートが変化しましたが、基本100円から200円の範囲)内に収めています。もちろん、海外で販売する際に、物流費やその国の物価などを考えた上で設定しています。日本の場合、Amazonで1瓶あたり500円ぐらいで販売されています。

もう一つの特徴は工場の場所へのこだわりです。長年、多くの中国地方政府は陶さんに「いい政策を出すからうちに工場を作ってください」と誘いました。しかし、「老干媽」の唯一の工場は今でも陶さんの当初の凉粉の店から遠くないところにあります。実は、「老干媽」は既に貴州省の最も知名度が高いブランドの一つになり、直接4000人以上雇用し、間接的に数万の仕事(例えば唐辛子の生産)を生み出しています。ちなみに、後日中国のもう一つの巨大企業のファーウェイの創業者の任正非さんも1940年代に貴州省の貧しい農村部で生まれました。

資本市場との関係においても、陶さんは独自の見解を持っています。10年以上前から、上場を提案するために、数え切れないほどの銀行員や政府の幹部が「老干媽」を訪ねてきました。しかし、基本、全員門前払いされました。実は、陶さんは「上場は他の人のお金を騙し取ることだ。うちは絶対に上場しない」と断言しました。それだけではなく、「絶対に借金をしないことと絶対に融資をしないこと」といった原則も長年貫いてきました。

あくまでも私の個人的な見解ですが、陶さんが外部資金を取り入れない理由は二つあると思います。まず、上場などに伴う企業管理面の制限に縛られたくないということです。企業が上場したら、定期的に情報公開はもちろん、株主に対して様々な報告もしなければいけません。それに、陶さんは産業制覇を目指すのではなく、目の前の事業をちゃんとすることだけを考えているのではないかと思います。企業が融資したら、言うまでもなく様々な今まで手を出せない分野に参入できますが、陶さんの場合、恐らく「今までの調味料分野だけで十分で、別にお金を借りてまでに事業を多角化したいわけでもない」と考えているのでしょう。

最近、米国のWeWorkや中国のLuckin Coffeeといった一時期ピカピカだったスタートアップは会計問題で注目を浴びています。WeWorkに投資した日本のソフトバンクも大きな損失を被りました。このようなニュースを聞き、「老干媽」のように「コツコツ自分の身の丈に合った程度で成長する」企業も悪くはないと感じました。

最後に

1996年に「老干媽」と名付けた会社を立ち上げた時に、会社代表の陶さんは色々な書類にサインしなければなりませんでした。しかし、学校に行けなかった陶さんは自分の名前を書けませんでした。結局、高卒の息子に自分の名前の書き方を教えてもらいました。当時、顧客に「そのソースは私の指導の下で作られたものですよ」というメッセージを伝えるために、陶さんは瓶の表紙に当時50代初めだった自分の顔写真を付けてきました。今、24年もの年月が経ち、陶さんも古希を過ぎましたが、当初の顔写真はまだ全ての「老干媽」商品の表紙にあります。その顔写真は恐らく中国で最も親しまれているる顔、最も認知度の高い商標の一つになっています。

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