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ラーメンはどう生まれたか? 日本における中華料理の歴史を辿る

中華料理は日本でもよく食べられる料理の一つになっています。麻婆豆腐や春巻はすでに日本の食卓でよく見かけられるものになっています。同時に、寿司や天ぷらに代表される和食の店も中国で人気を集めています。地理的にも、文化的にも近いので、日本と中国は「食」という軸でお互いに絶えずに影響を与え合っています。今日本の中華料理は、中国にはない素材を利用し、日本人の職人が魂を込めて、中国本土に勝るとも劣らない味を演出しており、ある意味、独自の料理の一つになりつつあります。実は、私は中華料理という言葉自体も、中国にある料理を表すより、「中国の料理からインスピレーションを得て、海外で盛んになっている料理」に近いのではないかと個人的に思います。今回の記事では、現在日本で流行っている中華料理を三つの種類に分けて紹介したいと思います。

まず、 和食に関東料理や関西料理といった地域による流派があるように、中国の料理にも、四川料理や広東料理など様々な種類(「菜系」とも呼びます)があります。それは主に地域による天候、素材、習慣などによって生まれた違いです。例えば、中国の北部には牛と羊が多くて、肉も主に牛肉やラムであることに対し、南部の肉は主に鶏肉と豚肉です。それに、温度も重要な影響を与えています。北部は寒くて、料理の味も基本油が多くて濃厚です。南部は気候が穏やかなので、料理の味は優しい甘味と塩味が主流です。四川料理の代名詞とも言える「麻辣味」ですが、四川省とその周辺の地域には湿気が多くて、麻辣味で汗を流させることで体に溜まっている老廃物(ろうはいぶつ)を排出する効果がある、と言われています。

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日本と中国の距離が近いので、中華料理が遥か昔に、例えば唐朝の時代(618年 - 907年)に日本に上陸し始めたと考える人が多いと思います。しかし、昔中国から日本へ伝わったのは、具体的な料理ではなく、あくまでも豆腐や醤油などの食材の製造方法でした。実際に中華料理として日本で広がり始めたのは、明治維新以降の1800年代の後半でした。

広東料理

最初に中華料理として日本で流行ったのは、広東料理でした。1800年代の末に、中国は様々な戦乱に見舞われており、広東省を中心に沿岸部の多くの人々がより良い生活を得るために、海外へ渡りました。彼らの一部は来日し、横浜や神戸などの港町で生計を立てました。中国からの移民が多くなることによって、中華街も形成され、中華料理の需要も生まれました。それで日本最初の中華料理店が出来ました(厳密に言えば、その前の17世紀の長崎の唐人屋敷には恐らく中華料理店がありましたが、確実な証拠がないので、ここで言及しないようにします)。そういった店は当初、主に中国からの移民に向けて、炒めもの、麺類、中華まんなど故郷の広東料理を提供しましたが、徐々に日本人のお客さんも増え、中華料理が中華街から溢れ出、一般の日本社会に伝播し、人気を博し始めました。

中華街から生まれた最も代表的な広東料理は恐らく「ラーメン」でしょう。広東料理は中国の料理の中においても、スープ作りへのこだわりが有名です。広東料理の料理人は、豚骨、鶏、魚介の出汁をとり、それに色々な香味料を入れ、芳醇なスープに仕上げました。中華街で暮らす広東省などの沿岸部の中国人たちは先祖代々から受け継いだスープの作り方を日本に持ち込み、濃厚なスープに中華麺を入れるという食べ物、いわゆるラーメンを日本で広げ始めました。その後、中国人、日本人、そして他の国々のラーメン職人の努力により、今世界中の人々の心を掴むラーメン文化にまで発展してきました。

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今、日本のラーメンは既に一つの食べ物のジャンルになっています。海外でも、「Ramen」という言葉を耳にした時に、当然のように日本を思い出します。実は、中国でも、日本のラーメンと中国従来の「茹でた麺を入れた料理」とは全く関係がないと勘違いをしている人がほとんどです。しかし、日本ではまだ多くのラーメン屋は、昔の中華街の広東料理人の貢献を忘られず、自分の料理を中華そばと呼びます。実は、食べログで2020年5月時点でランキング1位のラーメン屋の店名も「中華蕎麦 とみ田」です。ある意味、ラーメンは本当に日中食文化の交流、切磋琢磨、学び合いを示す絶好の例ではないかと思います。

東北料理

餃子に代表される中国の東北部の料理は、一般的に中国国内で一つの流派としてあまり認められていないものの、日本ではかなり広く食べられるようになっています。その背景には、歴史的な理由があります。第二次世界大戦後、中国の東北部(当時、満州国という政権だった)に駐在していた関東軍や引揚者が日本に帰国し、餃子も日本に持って帰りました。

中国の東北部の餃子は主にお湯で茹でて主食として食べられる水餃子でしたが、日本ではおかずとして食べられるのがメインです。その理由ははっきりしていませんが、一説によれば、当時鍋で茹でようとしましたが、茹でるための深い鍋が見つからず、鉄板で焼きました。その後、料理人たちは皮を従来の水餃子の皮より遥かに薄くしたり、具を調整したりし、焼き餃子を一つの大衆料理として確立させました。今ではその焼き餃子は大人気になり、中華料理の定番の一つになっています。仕事後に冷たい生ビールを飲みながらパリパリの焼き餃子を頬張り、口の中に熱々の肉汁が広がるのは、まさにサラリーマンにとって最大の至福の時間の一つになっているのではないでしょうか。

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餃子以外にも、中国の東北部に暮らした引揚者たちはいくつかの東北料理を日本に持って帰りました。例えば、東北部の家庭料理の「疙瘩湯」(グーダタン)は今北海道で「含多湯」(ガタタン)というご当地グルメとして広がっています。

四川料理

正直に言えば、本来なら四川料理は中国料理の中で、決して日本人の口に合う料理の流派とは言えないと思います。四川料理の特徴である激しいほどの痺れや口から火が出るどの辛さ、そして大量の油は、どう考えても食材の本来の味を重視する日本人との相性は芳しくないはずです。しかし、今日本で四川料理のはかなり人気の料理の種類になっています。その理由を説明するために、一人の避けては通れない人物がいます。陳健民さん(以下、陳さん)です。

陳さんは日本でも多くの人々に知られているので、ここで簡単に彼の生い立ちを紹介します。1919年に中国四川省の貧しい農村で10人兄弟の末子として生まれ、生計を立てるため、幼い頃に料理店に勤め始めました。その後、色々な料理店を転々とし、30才半ばに来日し、東京の中華料理人キャリアをスタートしました。レストランを経営したり、テレビに出演したりして、日本における中華料理、特に四川料理の普及に大きく貢献しました。とりわけ賞賛すべきなのは、陳さんは自分のいくつかの看板料理のレシピを隠さずに公開したことです。それのおかげで、多くの日本人も四川料理を作れるようになりました。実は、中華料理の暗黙の教授法としては、師匠がいちいち細かく弟子に説明しながら教えるという形ではなく、「弟子が下働きをしながら、師匠が料理を作る様子を見て、テクニックを学ぶ」というある意味見様見真似でした。

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陳さんの息子の陳健一さんも、孫息子の陳健太郎さんも中華料理の道に進んでいます。陳健一さんはフジテレビの「料理の鉄人」という番組で「中華の鉄人」になり、名を馳(は)せました。今では、麻婆豆腐や回鍋肉のような四川料理は既に日本の食卓の常連になっています。普通のコンビニでもそういった料理の調味料が買えます。陳さんの家族は、間違いなく日中の文化交流に大きく貢献しました。

終わりに

以上、3つの今日本で人気がある中華料理のジャンルを紹介しました。しかし、日本での中華料理はその3つに限りません。小籠包や杏仁豆腐に代表される上海料理、北京ダックに代表される北京料理など、色々あります。それぞれが、色々な違う時代に様々な理由で来日し、日本社会に定着しました。

近年、日本の料理は中国でかなり人気が上がってきました。お寿司や天ぷらはもちろん、高級懐石料理においても、中国人の間でファンが増えてきました。今度の記事で、中国で流行っている日本の料理を紹介したいと思います。


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