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『品の正体』 第七講 品の徳目


 note マガジン シリーズ『品の正体』も第七講を迎え、中盤から後半に突入しました。品を支え形作る要件や要素とは何か。『品位』『品格』『品質』を保つ素養とは何か。

 それは『徳分』との関係が非常に強いのではないかと考えています。後半は、『品』と『徳』の関係性について考察を深めて参ります。

 それでは、引きつづき『品の正体』をお楽しみください。

第七講 『品』の徳目


 はじめに今回は、前回の復習を少し致しましょう。その後で、第五講で取り上げたダルマ(美徳)をもう一度見て参ります。

 それでは、さっそく始めましょう。

Ⅰ.『四端の心』と『徳目』

 前回は、孟子の『四端』のお話をしました。

 人間の『良心』が目覚める根本は、何かの物事や結果が「気持ち悪いと思うこと」にあるとご説明しました。その心の反応が「良心」を「自覚」する瞬間でもあります。

 また、その心は、自我肥大したいわゆる自己中心的なものではなく、むしろ自分自身の内的反省や省察のような心であり、それは『四端の心』、「惻隠」や「羞悪」、「辞譲」あるいは「是非」などの様相であるとされていました。

 これらを人間関係から解釈すると、「惻隠」で相手の心に寄り添い、「羞悪」と「辞譲の心」は、相手と自分の関係性を調整し、「是非の心」は相手の考え方を自分がどれだけ納得できるのかを判断する心の機能であるといえます。

 これらを、簡潔に公私の関係性から解説して参りましょう。

「惻隠」 = 公
「羞悪」=公→私
「是非」 = 私
「辞譲」=私→公

 それぞれに向けられる「場」の関係性があることが分かります。

 また、『内面』を心理、精神性とし、『外面』を結果や評価など自明の面とすると下記に示すような関係性が認められます。

「惻隠」=内→外
「羞悪」 = 外
「是非」=外→内
「辞譲」 = 内

 つまり、

『惻隠の心』は、
公が主体であり、
内面の精神が
外面に向けて作用する。

『羞悪の心』は、
外面が主体であり、
公の活動が、
私に向けて作用する。

『是非の心』は、
私が主体であり、
外面の結果が
内面に向けて作用する。

『辞譲の心』は、
内面が主体であり、
私の心情が、
公に向けて作用する。

という関係性があると言えそうです。

 また、前回お話したように『辞譲の心』は『礼』とも関りが深いのですが、『信』とも深く関与しているのではないかと考えられます。

 『辞譲の心』を尽くすとき、特に何かを譲る場合などは『礼』だけではなく、相手への納得感や信頼感など『真心』としてもよいのですが、このような『信』の心にも関与するのではないかと考えられるのです。

 すなわち、『仁』『義』『礼』『智』の四徳の組み合わせのみでなく、『信』も加えた『五行』でいう『五常』としてもその役割があるのだと思います。

 結論として、今申し上げた通り、

『是非の心』は、
私が主体であり、
それによる外面の結果が
内面に向けて作用する。

 ということから、私という自己の『自覚』の中心にある徳分は最終的な判断を「是非の心」が担っているということになると思います。

 しかし当然のことですが、これら四つの関係性は、一つの徳目だけで機能するわけではありません。すべてが関連しており、しかも巡りがあるのです。

 例えば、『惻隠の心』によって『仁』が生じ、『羞悪の心』によって『義』が生じ、『是非の心』によって『智』が生じ、『辞譲の心』によって『礼』が生じる、というように、巡りがあるということです。

 そして、『礼』や『信』が生じると最終的に巡りのバランスや回転が良くなると考えられます。

 今までの『良』と『善』のお話をお読みになればお分かりいただけると思いますが、『良』とは結果的な使い方をされるので、この『良心』の判断には『善悪』の基準が関与することは間違いないことだと思います。

 しかし、自分がしたことを『悪かった』と感じる気持ちが大切であり、はじめに申し上げた通り、『悪いということを自覚する』これこそが本来の『悪』の役割であるはずです。

 このようなことから、自分が自覚して悪いと感じる感情を『惡』、他人が悪いことをしたとして、あいつが悪い、これが諸悪の根源だというような使われ方をする場合を『悪』として、二通りの『アク』があることを確認しておきたいのです。

 後程、このことが、『善』や『良心』の理解に深く関与してくることになります。

 いずれにしても『是か非か』ということをしっかりと判断する(こころ)が『自覚』の核として作用していることは論を俟(ま)たないことでしょう。

Ⅱ.徳性とは何か

 以前ご説明したダルマの解説をする前に『徳性』とはなにか、それがなぜ『品』に関係してくるのかを再度検証して参りましょう。

 そもそも『品』には、『品位』『品格』『品質』という3つの側面があるというお話をしました。

 そして、『品』には文化的素地があり、文化をつくり上げるのは『歴史』『慣習』『習慣』でした。さらに歴史は『品質』、慣習が『品位』、習慣は『品格』との関係が深いとお話しました。

 これらの例から、どれが文化を直接的に変えていくと思われるでしょうか。

 たとえば、歴史は文化の結果であり過去のこととして変えようがないと捉えれば、間接的であり、習慣も文化の結果ということが言えます。

 ですから、慣習が文化を変化させる素地を創り出しているのではないかと考えられます。

 慣習が習慣化し、歴史を変えていく、そしてその歴史からさらに新しい慣習が生まれ、習慣化し、また歴史が塗り替えられるという巡りがあるのです。

 世に『道徳』や『倫理』というものがあるとすれば、それが『品』に直結するものであることが分かります。それはまさに『改善』という作業そのものを示す言葉であるからです。

 ここで、シリーズ中盤まで検証した結果を申し上げますが、『品の正体』とは、この『品』の文字が示すように『三つの側面』を『善』に向けて『巡らす』チカラではないかと思うのです。

 この『品』の『詔』や『三宝』を巡らす『回転』のチカラそのものが、実質的な宝や財宝を手にすることと同じくらい、あるいは、それ以上に重要なことであるのではないか、という感触です。

 つまり、この結果から『徳性』とは、『善意』を『回転』させるチカラとなるものであり、それが『品位』であるといえるのです。

 また、その特性は、『個々の人々』と 『集団』の間を常に意識しているものであるとも付け加えておきましょう。

『徳性』とは
『個々』と『集団』の間に
存在する『活力』を使い
『善意』を『回転』させる
『チカラ』である

といえるのです。

前回取り上げた10のダルマをもう一度掲げてみましょう。

1. 寛容さ forgiveness
2. 謙虚さ humility
3. 率直さ straightforwardness
4. 正直さ truthfulness
5. 純潔さ purity
6. 自制 self-restraint
7. 苦行 penance
8. 放棄 renunciation
9. 無欲 non-possessiveness
10. 独居 celibacy

<※ それぞれ接頭辞「この上ない」を省略しています。>

 さて、今回は、『徳目』と『徳性』のお話をしました。次回こそ上記、仏教のダルマの『美徳』の解説をして参りましょう。

 最終的に『徳目』や『徳性』のなかで、これらダルマの『美徳』が『品』をどのように担うのかを見ていきたいと思います。

いよいよ『品』の『本質』が見えてくる!
次回、第八講、『品の美徳』をお楽しみに。

※このマガジン『品の正体』に連載されている他の記事はこちらから

今回も最後までお読みいただき、
誠にありがとうございました。

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