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日めくり5分哲学『自由の哲学』を読む 第一章2

少し「アタマ」を使って
命題について思索する5分間、
ホントの自由とは、何か…


この書物が重要な意味を持っているから、そこに含まれたこの一節を引用したわけではない。われわれの同時代の大多数がこの問題を考える際によく持ち出してくる意見が典型的に示されている、と思えたから引用したまでである。確かに彼の言うように、二つの可能な行為のうちのいずれかをまったく好き勝手に選べたとしても、それだけではまだ自由であるとは言えない。しかし、そんなことは学問の上で幼児用の靴がもはやはけないところまで成長してきたと思っている現代の大人たちなら、誰でも知っている筈である。特定数の可能な行為のうちのどれか一つを選び取ることができるためには、何らかのはっきりした理由がある筈だ、と人は考えるのである。
 そう考えるのは当然のことのように思える。ところが今日まで、「自由」の敵対者からの攻撃は主としてこの選択の自由ということに向けられてきた。現在、日毎に共鳴者を増やし続けている立場の主張者であるハーバート・スペンサーもまた、この点について次のように述べている。「けれども誰でもが好き勝手に望んだり望まなかったりすることができるということ、このことは意志の自由という教義にとっての大前提というべきものであるが、それは当然のことながら、意識の分析によっても、これまでの論述の結果からいっても、否定されねばならない」(〚心理学原論〛B・フェッター博士の独訳版 シュトゥットガルト一八八二年)、意志の自由という概念を否定しようとする他の論者達もまた、同じような観点から出発している。

<命-1-2-1>選択の自由


<命-1-2-1>意志の自由という概念を否定するとは



第一章3へつづく

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