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『品の正体』 第六講 品の徳性

第六講 『品』の徳性


 前回は、徳分や美徳というものが『善意』や『良心』の基になるものであるとして、10のダルマ(法則)を掲げました。

 お話の流れで多少前後してしまいますが、この解説は次回以降にすることといたします。

 今回は、品を規定する三つの側面のうち、残る二つの側面を規定する領域について先にお話を進めていくことに致しましょう。

 『品質のステージ』、『品格のステート』、『品位のレベル』の三つの側面のうち、第四講では、『品質』について管理の例を挙げてPDCAのお話を致しました。

 そして『品質』にはそれぞれ、理念、行為、有形文化、無形文化という領域があるということをお話しし、それぞれがPDCAと相関することも申し上げました。

 では、あと二つの側面、『品格』と『品位』を規定するために、どのような領域があるのでしょうか。

 本日は、はじめにそのことについてお話を進めて参りましょう。

Ⅰ.『品格』を規定する4つの領域

 『品格』とは『品のステート』であるというお話をしました。これは、『品』の『状態』を示すものだとご説明しましたが、これらを規定する代表的なものを解説して参りましょう。

 『品の状態』には、日々文化的な影響を受け多様に変化する事柄が関連してきます。

 これは、きわめて個人的な見解ですが、『品格』を決定づけている要素とはやはり、『言語』や『言葉』の使い方ということが大きいと思うのです。

 もちろん、このことはこれからお話する『品位』にも関与してくるのですが、簡単に申し上げれば『品位』は、今まで数回お話してきた『善』や『良心』という(こころ)の水準に関与していました。

そして、第二講『品の法則』でもお話したように、『品位』がすべての基準になっていると考えていることもお伝えしました。

 ですから、『品位』が高ければ『品格』は高いことはあっても、『品位』が低いにもかかわらず、『品格』が高いということは考えにくいということになります。

 言葉や言語を操ることもそうですが、『品格』を規定する側面として様々な能力が関係してきます。

 しかし、その心根が腐っていたら、表面だけ慇懃無礼に言葉を飾り立てても『品格』が見えることはまずありえません。

 これは、特に言語の情操とでもいうのでしょうか、日常生活に則して言えば、言葉の意味や使い方も含め、心のこもった態度でのおもてなしや思いやりなどの思慮、配慮ができるかというホスピタリティにも関わるのだと思います。

 それでは次に、『品位』を定める4つの領域ということで、今お示ししたように言語学的解釈からお話を進めて参りましょう。


言語の様相にあたるTEAMという四つの領域をご紹介したいと思います。

T:伝達
E:表現
A:蓄積
M:尺度

の四つです。

 これらの四つは先にお話したPDCAサイクルとも関連してくるのです。

 つまり、

P=T
D=E
C=A
A=M

となります。

 Tは伝達を意味しP(プラン)と関与が深く、Eは表現で実際にD(行動)すること、Aは蓄積としてC(評価)と関係し、Mは尺度でどのようなことを進めていくのかを考えるA(改善)と関りが深いのです。

 『品格』を規定する4つの領域は言語をもとにこのような規定ができるのではないかと考えています。

 その証左として、次にあげる『品位』を規定する4つの領域と比較検討するとさらに理解が深まると思います。

 それでは、次に『品位』を規定する4つの領域を見て参りましょう。

Ⅱ.『品位』を規定する4つの領域

 これまでも少し解説させていただきましたが、『品位』は(こころ)の様相に関与しており、『良心』や『善意』のような情動的なことがらに相関があることはお話ししてきた通りです。

 では、これらの情動を規定する四つの領域とは何でしょうか。

 これも例として様々な情緒的な情動を挙げることができるのですが、最も完結にそして簡単に例を挙げるとすれば、次のものになると考えています。

 『善』が生じる根本は『気持ち悪い』と感じる一種の感受性でした。そこから派生した情動の連鎖が四つの枠組みに合致していくのです。

 それは、『孟子』の『四端の心』というものです。

 『孟子』は『善』に向かう心の様相として四つの特性を考えたのでした。

 まず、他人の不幸を見るに忍びないと感じる『惻隠そくいんの心』があり、次に自分や他人の不正を恥じ憎む『羞悪しゅうおの心』を持ち、そして善悪を判断する『是非ぜひの心』さらに最後にへりくだって他人に譲る『辞譲じじょうの心』をもって『善』に向かうことができると説いたのです。

 そして、

『惻隠の心』は『仁』が生じる可能性

『羞悪の心』は『義』が生じる可能性

『是非の心』は『智』が生じる可能性

『辞譲の心』は『礼』が生じる可能性

として、『四端の心』を育てることによって人間は 『仁』・『義』・『礼』・『智』の『四徳』を身に付けることができ、浩然こうぜんの気(力強い精神力)をもって『四徳』を備えた理想的人間像を『大丈夫』と呼ぶようになったのです。

 『惻隠の心』は、相手を思うことによってP(プラン)を立てることと関与が深く、『羞悪の心』は、不正なく確実に行動するD(行動)と同義であり、『是非の心』は、C(評価)の段階でその是非を問うことと関連し、『辞譲の心』は、深い洞察と相手を察することから『改善』に結び付けようとするA(改善)と関りが深いのです。

 つまり、

『惻隠の心』が『P』を生み

『羞悪の心』が『D』を生み

『是非の心』が『C』を生み

『辞譲の心』が『A』を生む

ということが言えるのです。

 『惻隠の心』で相手に寄り添うことがなければ、P(プラン)は立てられません。

『羞悪の心』で不正をしないことを誓わなければ、D(行動)を怠けてしまいます。

『是非の心』で結果について是か非か判断しなければ、C(評価)に結びつきません。

『辞譲の心』で本当にできることなのか、無理強いしてもA(改善)は不可能なのです。

 これらのことが『品位』に関与する四つの領域として考えられることです。

 つまり、PDCAサイクルを回していくには、このような『四徳』を持ち合わせているということが大前提なのです。

 これらの徳性について、さらに前回お話した10のダルマのご紹介を次回にしてまいりましょう。『品の正体』、次回は第七講、『品の徳目』として、さらに探求して参りたいと思います。

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