ヴァイオレットエヴァーガーデン3話と、たぬき。 視聴再開。

ヴァイオレットエヴァーガーデンの3話やっと観始められました。G.W.はしっかりと休みが取れない側面もあって、予定を入れると半分徹夜っぽい強行軍になって、危ういですね。すべての職種が同様に休める社会になると良いのになぁ。

ヴァイオレットエヴァーガーデンですが、刺さる。普段、私も柔和寄りなのに、サイコパス気なところあるから、グッサーッっと来ました。
命に関係というか、クリティカルな話になると、途端に鋭利になるというか、心を見失う。なのに普段は、ヴァイオレットと少し逆で、どれを削るべきか全く分からなくて。

30分で‥‥よく。なにも無駄がなくて、遅刻する子は共感を得やすそう、とか、技法しか、うまく語れない。誰しも喪失と、無念があって、選べなくて。進めなくて。それでも期日は来て。
なんだろう、レビューするのが無粋になるような、神聖な。凄かった。感情の脚本術の御本も積んで埃被る、読まなきゃ。


必要に迫られれば、割とうまく動ける。だから、今までの職場は回せている。だけれど、表現、創作の分野になると、能動的で、求心力が必要で、限りなく必要で。家族を守りながらとなると、二の次、三の次になって。――それは、優先順位だけでなく………


最近の素晴らしい作品と、素晴らしい環境で触れられた勇気で、もう少し、エグりに触れてみる。閲覧注意かも知れない。


嫌悪や忌避すら越えないといけなくて。現代で認められていることも、それは同世代、というか、より若い世代に置いてで、上の世代は奇異や侮蔑の眼をまだまだ向けるもので。………きっと、希望的観測や実際は、そこまで悪い結果にはならないのだろうけど、1度の、もしくは数度の深い喪失、と同等の経験が、心の芯を、背骨を引き抜いて来る。己に対して起こっても怖いと最近知ったけれど、それは、その様を目撃したからで、身近な者のその様を、また目撃する勇気がない。そしてそれは、創作の有無に関係なく訪れる。 なんで、創作とその恐怖が一体化してしまったのか、分からないけれど。それはきっと、癒着のようなもので。竜宮城での宴、光陰矢の如し、それがただ、ただ、恐ろしい。

何を言っているか分かりづらいですよね。自分でも言い表せ切れてないと痛感します。PTSD系のお話はどうも、回りくどくなってしまう。

ただ、時計の針が進むのを、なるべく、出来るだけ、遅くしたい。そのことに、尽力してしまう。クロノフォビア、そんな言葉、あるのかな。
調べたらあったし、いくつか当てはまるし。知らん言葉が後から付いて来る最近。なんなのだ。

いつもと違う経験の方が、彩りのある経験を重ねる方が、時間の感覚、見当識の感覚すらより鋭敏に、永く感じさせるという知識はあるのに、点と点が結んでも結んでも切れるのだよな。 なるべく、負担を少なく、フットワークを軽く――

クロノフォビアを、思考から偶然?必然に?知れたので、対策法なんかを、少し調べて、試行してみようと思いまする。

一次創作の裏設定?に少し掠りそう。一番多感だった頃から、スッと映像だけ、浮かんでいるんです。遊んだ、触れたゲームや書籍、だけでなく、オリジナル要素もあって、オマージュというか、夢見に近いというか。幾原監督や岡本真夜さんも映像や鼻歌先行の作曲・構想だとか、どこかで聞いたような。

意味があとから付いて来る、意義のある、予知夢のような。そんなことを夢想する八尾比丘尼なのでした。亡くすのが恐い、ヴァッシュも言っていた気がします、そういえば。

作品って不思議ですね。触れた時々に、別の側面を覗かせて、勇気を与えてくれるから。

あ、たぬきの話、し忘れた。Xでリアルタイムで呟いた感想の清書版なんですこれ。
ルクリアに、なんだか、少したぬきみを感じたのでした。一話だけの登場なのかな。公式HPでcharacterの欄に居ないんですよね。再登場して欲しいな。

Xの方は、物語が刺さって、もう少し茫然とした感想になっています。レビュー、ってナマモノです。ぽんぽこぽん。

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