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不老不死の薬『天台烏薬』を求めて

おはようございます。あやです(^^

今日は、我が娘の絵をご紹介します。
タイトルは『天台烏薬』(てんだいうやく)

紀元前219年、中国の秦の始皇帝のために、徐福は不老不死の薬を求めて、子供の男女3000人と一緒に船出した。
でも、その後の行方は知れず、再び帰ることはなかった。

この話、伝説とも言われていたのですが、日本全国に徐福が来たあとが残されていて、お墓や徐福町という地名もあり、
その後、中国にも徐福村が発見され、伝説ではなく事実なのでは?と言われるようになったそうです。

この時に探していた不老不死の薬が、紀伊半島に自生するクスノキ科の常緑樹で「天台烏薬」(てんだいうやく)であると言われています。

それをタイトルに描かれた絵がこちらです。

油彩画

娘は、この絵に、次のような意味を込めています。
(原文は英語ですが、私が翻訳しました)

私たち人間は、「若さ」というものをとても大切にしています。

しかし、「時は金なり、いつまでも若くはいられない」と人々は言います。

何千年も前から、世界各地の物語で「命の泉」を追い求める話が語られていますが、それらは、若さを追い求める無数の伝説の一つに過ぎず、永遠の命の力を追い求めるのは人間の本性のようです。

若さに価値を置くのは、若さから遠ざかれば遠ざかるほど、死や終わりに近づくからでしょうか?
私たちは皆、死を恐れていますが、それは永遠に生きたいということでしょうか?

永遠の命といえば、永遠の若さを意味します。
なぜなら、誰も肉体が衰え続ける中で永遠に生きたいとも、毎日死のふちをさまよいながら、死ぬことなく過ごしたいなどとも思わないでしょう。

ならば、若くて健康で、精一杯生きていなければ、人生に意味はないのでしょうか?

それとも、若さとは、肉体的な状態というよりも、考え方のようなものなのでしょうか。

もしそうだとしたら、いつまでも若々しくいることは可能です。
自分の中の子供心を大切にして、子供のような屈託のない驚きを心に留めておくことが、私たち自身の若さの泉となる。

私は、そう思います。



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